挙兵の動機とは? わかりやすく解説

挙兵の動機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 03:38 UTC 版)

以仁王の挙兵」の記事における「挙兵の動機」の解説

以仁王頼政が反平氏唱えた挙兵意思固めた経緯動機には諸説ある。 『平家物語』では、挙兵の動機は、頼政嫡男・仲綱と平宗盛清盛三男)の馬をめぐる軋轢ということになっている宗盛が仲綱の愛馬木の下このした)”を欲しがった。仲綱は断ったが、宗盛平氏権勢を傘にしつこく要求し頼政に諭されて、仲綱はしぶしぶ木の下”を譲った宗盛はすぐに譲らなかったことが気に入らず、“木の下”の名を“仲綱”と改め焼印押し、「仲綱、仲綱」と呼んで引き回したり鞭打ったりした。この屈辱恥辱が、頼政・仲綱父子謀反決意させた。 この事件事実がどうかはともかく、平氏一門専横源氏への日頃軽侮対す長年の不満の爆発は、理由として挙げられている。 他に、頼政摂津源氏鳥羽上皇直系近衛天皇二条天皇仕え大内守護の任にあったことから、別系統高倉安徳天皇即位反発したという説もある。 『平家物語』では、頼政夜半不遇の以仁王の邸を訪れ謀反持ちかけたことになっているが、当時頼政77歳という高齢であり、皇位への道を断たれて不満を持っていた以仁王の方から頼政挙兵持ちかけたという見方もある。 もっとも、頼政以仁王挙兵以前に関係を有していたことを示す証拠が、同時代貴族日記などの史料には存在せず脚色の入る余地がある『平家物語』とそこから派生した書物にしか求められないことなどを理由初めから謀議などはなかったという見方もある。その見方によれば頼政離反原因として彼の篤い仏教信仰背景として挙げられ頼政以前にも彼が配流のために護送していた天台座主明雲延暦寺大衆奪還しに来た際も抵抗せず奪われている前例があること、今回検非違使として以仁王逃がした兼綱の責任問われている状況下において既に出家していた頼政以仁王匿う園城寺寺院僧侶への攻撃拒絶したために、今度頼政親子命令違反捕らえられる可能性浮上し追い詰められ頼政親子やむなく以仁王側について敵対する至ったとする。

※この「挙兵の動機」の解説は、「以仁王の挙兵」の解説の一部です。
「挙兵の動機」を含む「以仁王の挙兵」の記事については、「以仁王の挙兵」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「挙兵の動機」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「挙兵の動機」の関連用語

挙兵の動機のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



挙兵の動機のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの以仁王の挙兵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS