挙兵まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 06:01 UTC 版)
項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であり、項羽の祖父は楚の将軍項燕である。『史記』では本籍を下相としている。叔父の項梁に養われていた。 『史記』によれば、項羽は文字を習っても覚えられず、剣術を習ってもあまり上達しなかった。項梁はそのことで項羽を怒ったが、項羽は「文字なぞ自分の名前が書ければ十分です。剣術のように一人を相手にするものはつまらない。私は万人を相手にする物がやりたい」と答えたので項梁は喜んで集団戦の極意である兵法を項羽に教えた。項羽は兵法の概略を理解すると、それ以上は学ぼうとしなかった。 項梁に従い、呉に移住した。成人すると、身長が8尺2寸(1尺が23cm,1寸が2.3cmとして、身長約188.6 cm)の大男となり、怪力を持っており、才気は人を抜きんでていたこともあって、呉中の子弟はすでに項羽には一目置いていた。また、瞳が二つあったと伝えられる(重瞳)。
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