挙人覆試
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:00 UTC 版)
清朝に新たに加えられた試験区分。事前に志願者をふるい落とし、会試の試験会場である北京貢院の混雑を避けるために設置された足切り制度。会試の1ヶ月前(2月15日)に行われた。北京近郊の者に対しては、これもまた混雑の防止が目的であるが、前年の郷試の直後の9月に実施された。出題内容は四書題1問、詩題1問。成績は5等に分けられた。1等から3等の者は会試を受ける権利を与えられ、4等の者は一定期間会試受験の権利が停止され、5等の者は挙人の資格が剥奪された。なお、会試は天子が行う崇高な行事とされていたので、受験者は公費で北京に赴くことができた。
※この「挙人覆試」の解説は、「科挙」の解説の一部です。
「挙人覆試」を含む「科挙」の記事については、「科挙」の概要を参照ください。
- 挙人覆試のページへのリンク