『梁塵秘抄』
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後白河法皇は、みずから今様や催馬楽を集めて分類し、治承3年(1179年)、『梁塵秘抄』を編纂した。法皇は、男装した女性が今様を歌いながら舞う白拍子や、歌に合わせて操り人形を躍らせる芸などを演ずる傀儡(傀儡子)などの芸人とも交流をもち、みずから歌を教えたり、未知の歌を教わったりしている。これらの歌には一部に形式化の傾向もみられた当時の和歌とは異なり、庶民の生活感情がよくあらわれているといわれ、貴族の遊宴のみならず、祇園祭などの御霊会や大寺院の法会などでもしばしば演じられるようになった。 今様(『梁塵秘抄』より) 遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ揺(ゆる)がるれ 舞ゑ舞ゑ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に 蹴(く)ゑさせてん踏み破(わ)らせてん真に愛(うつく)しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん 鷲(わし)の棲(す)む深山(みやま)には なべての鳥は棲むものか同じき源氏と申せども 八幡太郎は恐ろしや 仏は常に在(いま)せども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる人の音せぬ暁に 仄(ほのか)に夢に見えたまふ 我等は何して 老いぬらむ 思へばいとこそあはれなれ今は西方極楽の 弥陀(みだ)の誓ひを 念ずべし 極楽浄土のめでたさは 一つもあだなることぞなき 吹く風 立つ波 鳥もみな 妙(たへ)なる法(のり)をぞ唱(とな)ふなる このごろ都に流行(はや)るもの 肩当(かたあて) 腰当(こしあて) 烏帽子止(えぼしとどめ)襟の立つ型 錆(さび)烏帽子 布打(ぬのうち)の下の袴(はかま) 四幅(よの)の指貫(さしぬき) このごろ都に流行るもの わうたい髪々 えせ蔓(かづら)しほゆき 近江女(おうみめ) 女冠者(おんなかじゃ) 長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞなき 『梁塵秘抄』は、「梁の塵(ちり)が舞うほどの美しい歌い方の秘伝・秘密を語った抄本」という意味をもち、そのなかには、極楽を歌った極楽歌もあって、浄土教の広まりを示している。また、建武新政期の『二条河原落書』の原型となるような戯れ歌が既にみられることも注目に価する。
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