『桓檀古記』とは? わかりやすく解説

『桓檀古記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 22:19 UTC 版)

檀君朝鮮」の記事における「『桓檀古記』」の解説

1911年偽書『桓檀古記』(かんだんこき)の主な檀君朝鮮関連挙げる。 「三聖記」上編:桓雄までは『三国遺事』とほぼ同じ。桓雄の子ではない神人王倹檀の木の岡に降り阿斯達を都とし朝鮮号した檀君王倹である。妻は河伯娘。朝鮮から大扶餘号した472096年続いた。 「三聖記」下編:桓雄桓因ではなく安巴堅庶子桓雄息子檀君王倹は有帳という名で別伝では倍達王倹といった。その子居佛理のち18居佛まで続いた。 「檀君世紀」:桓因の子檀君王倹の子47世古列加までの史書太白逸史」の「三韓管境本紀」:桓雄の子ではない神人王倹が国を三韓分け辰韓治めた桓雄は阿斯達を国とし朝鮮号した神人王倹馬韓を熊伯多、番韓を蚩尤男(蚩尤末裔という)に治めさせた。 この本は、超古代からの朝鮮半島歴史詳細に書き綴っているが、この本は書いたのが延壽という人であり、最初に出版されたのが1911年である点からも近代になって作られた話であるのが分かるまた、現行版の「桓檀古記」は1949年書かれたもので、出版1979年であった内容をみると、清の嘉慶5年1800年)に命名された「長春」という地名の表記があったり、男女平等父権など、近代になってから登場した社会用語がそのまま使用されている等、明らかに20世紀入ってから作られ偽書であることが確実視されている。要するに、明治にはいり日本韓国併合日韓併合明治43年)した後、朝鮮人延壽が、日本記紀参考に、「朝鮮の方が日本の倍は古い歴史がある」と記述し出来あがったのである考えられている。

※この「『桓檀古記』」の解説は、「檀君朝鮮」の解説の一部です。
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