ふよ【扶余/夫余】
読み方:ふよ
前1世紀〜5世紀に中国東北地方から朝鮮半島北部で活動したツングース系の民族。また、その建てた国。1〜3世紀に全盛期を迎えたが、494年に同じツングース系の勿吉(もっきつ)に滅ぼされた。
(扶余)大韓民国忠清南道の郡。538〜660年、百済(くだら)の都の置かれた地。半月城・百済王陵などの遺跡がある。プヨ。
プヨ【扶余】
読み方:ぷよ
⇒ふよ(扶余)
扶余
扶餘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 17:45 UTC 版)
古墳(横穴式石室墳が多い)陵山里古墳群※(忠清南道扶餘郡扶餘邑陵山里、百済王室の墓域)東上塚、東下塚 中上塚、中下塚 西上塚、西下塚 王宮跡泗沘王宮址※(扶餘邑官北里、双北里一帯と推定) 扶蘇山城※(扶餘邑扶蘇山、推定王宮址の後背地) 扶餘羅城※(扶餘邑塩倉里にある山城) 寺院跡定林寺址※(扶餘邑):五層石塔(百済塔)が残っている。中国南朝の梁は541年に仏典や画家などを百済に送ったとの記録があり、梁からの技術者が新しい都にふさわしい施設として造ったと考えられている。定林寺址博物館で百済建築・仏教に関する出土品などの展示がある。 軍守里寺址(扶餘邑) 王興寺址(忠清南道窮岩面新里の蔚城山山腹)
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