日韓併合とは? わかりやすく解説

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にっかん‐へいごう〔‐ヘイガフ〕【日韓併合】

読み方:にっかんへいごう

韓国併合


韓国併合

(日韓併合 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 08:31 UTC 版)

韓国併合(かんこくへいごう、: 경술국치/한일병합/국권피탈、: Japanese annexation of Korea)とは、ポーツマス条約の調印後、1910年明治43年)8月29日に「韓国併合ニ関スル条約」へ基づき、大日本帝国大韓帝国[注釈 1]併合して統治下に置いた出来事を指す。朝鮮併合日韓併合日韓合邦とも表記される[1]


注釈 

  1. ^ 今日の大韓民国朝鮮民主主義人民共和国に相当する地域。旧韓国、朝鮮国(李氏朝鮮)領域。間島については一部に領有権について主張がある。
  2. ^ 全体の構図から「漁夫の利」などと称されて紹介されることも多い。
  3. ^ 日韓議定書 第四条「第三国ノ侵害ニ依リ若クハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ。而シテ大韓帝 国政府ハ右大日本帝国ノ行動ヲ容易ナラシムル為メ十分便宜ヲ与フル事」
  4. ^ 「日省録」や「承政院日記」などの分析から高宗は日韓保護条約に賛成しており、批判的だった大臣たちの意見を却下していたとする研究結果も、2001年(平成13年)にハーバード大学アジアセンター主催で開かれた国際学術会議で出されている[44][45][46]
  5. ^ a b 「ハーグ密使事件は皇帝の責任に属す ことはもちろんだが、統監府が未然に防止できなかったことは統監の迂闊を世界に公表したものである。しかも、これは統監一人の身にとどまらず、日本の名誉毀損・威厳の侮辱・信用の抹殺である」(大阪毎日新聞 1907年7月16日の社説)[39]
  6. ^ 火田民も参照。
  7. ^ 李氏朝鮮時代も土地売買は可能であり経国大典(1460年)や続大典(1744年)で届出制を規定していたが、これら官許方式は衰退し民間同士での私的売買が横行しており公証機能が衰退していた。『最新韓国実業指針』岩永重華(宝文館、明治37年)や雑誌『韓半島』第2年2号(明治35年)などは朝鮮末期の不動産売買や制度の混乱について記録している。
  8. ^ 後述。高麗大学名誉教授・政治学者韓昇助の事例など。
  9. ^ 名誉毀損及び外患煽動の容疑で逮捕されたり、国会傍聴中や裁判において暴行される(暴行犯の朴琦緖は英雄とされ逮捕もされていない)などの被害に遭っており、身の安全のため住所すら公表していない。
  10. ^ 金星出版社の教科書を批判して2008年に出版された教科書フォーラム編集の教科書。
  11. ^ 崔文衡は2010年夏に刊行した『韓国近代の世界史的理解』(知識産業社)でも、「世界史のなかの韓国史」を提唱している。
  12. ^ 3党共同宣言ともいわれるが、金丸訪朝団の議事録が公開されていないが故に内実はわからない。項目金丸信を参照。

出典 

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  12. ^ 田保橋潔『近代日鮮関係の研究(下巻)』朝鮮総督府中枢院、1940年、443頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276051/253。"七月二十三日午前政変後戚臣以下多く逃亡して、景福宮は国王及び少数の宗臣・近臣を残留して、殆ど空虚に帰したが……既に日本国公使が兵力によって戚族を廟堂より駆逐し、大院君を首脳とした新政権を樹立した以上、国王・王妃の好む好まぬに関せず、廟堂を改造し、内政改革に着手せざるを得ない。"。 
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  14. ^ 田保橋潔『近代日鮮関係の研究(下巻)』朝鮮総督府中枢院、1940年、445頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276051/254。"杉村書記官は大院君が既に古稀の齢に達し、時勢に通ぜず、徒らに私見を主張して、政務を渋滞せしめるのを見て、早くも金弘集を以て之に代へようとし、其領議政任命を要した。大院君も之に従ひ、七月二十五日領議政金炳始の辞職を待ち、金弘集を後任とした。"。 
  15. ^ 田保橋潔『近代日鮮関係の研究(下巻)』朝鮮総督府中枢院、1940年、447-449頁。"大鳥公使は七月二十三日政変が一段落告げると共に、清韓宗属関係の廃棄に注意し、七月二十五日景福宮に於て、大院君及び督弁趙督弁趙秉稷に会見し、明治二十七年七月二十日最後通牒の趣旨に従ひ、中朝商民水陸貿易章程の廃棄を宣言し、並に朝鮮国駐留清国軍の駆逐を請求する件について協議した。然るに大院君、趙秉稷共に将来清より報復懲戒を加へられることを恐怖して、躊躇決することが出来ない。最後に大鳥公使の強硬な要求に屈して承諾し、同日清代理交渉通商事宜唐紹儀に清韓通商三章程破棄を通告したが、清兵駆逐に関する大鳥公使宛照会は頗る不満足のものであった……朝鮮国内駐留清国軍の駆逐については、統理衙門照会の内容が頗る不満足なため、大鳥公使より修正を要求したが、督弁は容易に同意を与へない。けれども形式的には朝鮮国政府が日本国公使に清兵駆逐を依頼したと見るも支障がないので、大鳥公使は七月二十六日混成旅団長大島陸軍少将に左の如く通告した。  在牙山清兵ヲ撤回セシムル儀に付キ、昨二十五日朝鮮政府ヨリ、外務督弁ノ記名調印ヲ以テ、右取計方代弁ノ依頼有之候間、御承知ノ上、可然御取計相成度此段申進候也。明治二十七年七月二十六日 特命全権公使大鳥圭介  大島陸軍少将は既に前日二十五日混成旅団の主力を率ゐて南下の途に就き、又仁川水道豊島沖に於ては、日清両国艦隊既に戦闘を開始したので、此照会の修正は問題外となったのである。"。 
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