日韓併合以降の戦前の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 10:18 UTC 版)
「生野コリアタウン」の記事における「日韓併合以降の戦前の形成」の解説
1910年の日韓併合を経て、1922年に済州島と大阪をつなぐ直行便「君が代丸」が就航した。これを機に多くの朝鮮民族(大半は済州島出身者)が労働のために日本へ渡航するようになり、大正期から耕地整理や平野川改修工事といった土地区画整理事業が始まっていた猪飼野周辺が受け皿となった。 大大阪時代における近郊農村の急速な都市化・工業化により、猪飼野周辺は昭和に入る頃には中小企業の密集地帯となっていた。 なお、猪飼野が属した東成郡鶴橋町は1925年に大阪市へ編入されている。職住が揃った猪飼野には自然と朝鮮市場が誕生し、それを核に商店街としてスタートしたのもこの頃である。
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