日韓併合後のハンセン病対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 21:38 UTC 版)
「周防正季」の記事における「日韓併合後のハンセン病対策」の解説
日韓併合時、朝鮮には推定1万5000人ないし2万人の患者が主に南部にいた。公的病院はなく外人宣教師が経営する療養所が3か所あった。朝鮮総督府としても、らい予防法もあり、気候温暖な小鹿島を選定、1916年(大正5年)より官立らい療養所小鹿島恵病院が発足。収容定員は100名、院長は蟻川享一軍医。1921年(大正10年)に花井善吉軍医。1929年(昭和4年)矢沢俊一郎医師。病院は徐々に拡大されてきた。1933年(昭和8年)9月、全島を買収して、周防は小鹿島の小鹿島慈恵医院院長に就任した。
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