日韓併合と併合後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:14 UTC 版)
1910年(明治43年)の韓国併合ニ関スル条約(日韓併合条約)の締結により日本に併合され、大韓帝国は滅亡した。大韓帝国の皇帝は、大日本帝国において1910年(明治43年)の詔勅 (前韓国皇帝ヲ冊シテ王ト為シ皇太子及将来ノ世嗣、太皇帝及各其儷匹ノ称呼ヲ定メ並ニ礼遇ノ件)により、昌徳宮李王に遇された。なお、日本の知識人を中心に併合反対の世論も存在した。伊藤博文は朝鮮人による統治によって半島を近代化させる方針であったが、総督府時代の体験から朝鮮人のみでは近代化に至らないと判断するに至った。また、日本国内には、近代化されず遅れた朝鮮人を帝国臣民にすることに対する否定的な論調も存在した(当時、西洋列強に対し対等な外交関係を望む日本にとって、国民の質の低下が好ましくなく、朝鮮人を卑下する考えも根底にあった)。
※この「日韓併合と併合後」の解説は、「大韓帝国」の解説の一部です。
「日韓併合と併合後」を含む「大韓帝国」の記事については、「大韓帝国」の概要を参照ください。
- 日韓併合と併合後のページへのリンク