しょうとく‐きゅう〔シヤウトク‐〕【昌徳宮】
チャンドッ‐クン【昌徳宮】
読み方:ちゃんどっくん
⇒しょうとくきゅう(昌徳宮)
昌徳宮(韓国)
昌徳宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 00:04 UTC 版)
座標: 北緯37度34分45.00秒 東経126度59分28.00秒 / 北緯37.5791667度 東経126.9911111度
注釈
- ^ 正宮が火災などに遭った際、王が移り住む宮殿
- ^ 景福宮は正宮として再建されるまで約270年以上にわたり放置されたままであった
- ^ 原文「車駕將出, 都中有姦民, 先入內帑庫, 爭取寶物者。已而駕出, 亂民大起, 先焚掌隷院、刑曹, 以二局公、私奴婢文籍所在也。遂大掠宮省、倉庫, 仍放火滅迹。景福、昌德、昌慶三宮, 一時俱燼。」
- ^ 『宣祖修正実録』と『宣祖実録』は共に朝鮮王朝の正史『朝鮮王朝実録』に属する。民衆によって略奪・放火された説について、李廷馥の『四留斎集』や李恒福の『白沙集』と李曁の『松窩雑説』にもその時の様子が記されている。因みに日本側記録『大徳寺文書』では国王が内裏に放火して逃亡したとある。また小西行長の一番隊に属した松浦鎮信の家臣吉野甚五左衛門の覚書には入城直前の「五月二日の夕暮れに都の方を望むと放火の煙が立ち上っている」「宮殿楼閣数々に、内裏々々に火を掛けて、上下万民ことごとく唐国さして落ちにける」と記録している。いずれにせよ日韓双方の記録が秀吉軍の入城を前に焼失したとしている。したがって一部に存在する日本の小西行長勢によって放火されたとする主張は誤りの可能性がある。
- ^ 西洋式で、近代に改築されたらしい
出典
- ^ “창덕궁(昌德宮)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年5月1日閲覧。
- ^ “도성의 궁성에 불이 나다”. 朝鮮王朝実録 (1592年(宣祖25年)4月14日). 2023年5月1日閲覧。
- ^ 『임진왜란 때 경복궁을 불태운 건 백성들이다? | YES24 채널예스』 。2023年5月1日閲覧。
- ^ “창건 600주년, 창덕궁 내부공개” (朝鮮語). KBS 뉴스 (2005年11月26日). 2023年5月1日閲覧。
- ^ “Changdeokgung Palace Complex” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月1日閲覧。
- ^ データベース『えひめの記憶』わがふるさとと愛媛学 ~平成 5年度 愛媛学セミナー集録~2 飾り幕の制作愛媛県生涯学習センター、1993年
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