ぶっこく‐じ【仏国寺】
読み方:ぶっこくじ
大韓民国、慶尚北道慶州市吐含(とがん)山麓にある寺。528年、新羅法興王の勅建と伝える。多宝塔などの石造遺構は新羅文化の最盛期を示す。1995年、付近の石窟庵とともに世界遺産(文化遺産)に登録された。華厳仏国寺。プルグクサ。
プルグク‐サ【仏国寺】
読み方:ぷるぐくさ
⇒ぶっこくじ(仏国寺)
仏国寺(韓国)
仏国寺
仏国寺
仏国寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 05:44 UTC 版)
仏国寺(ぶっこくじ、プルグクサ、朝: 불국사)は、大韓民国慶尚北道慶州市にある仏教寺院。韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の寺院で第11教区本寺。吐含山のふもとにある。
- ^ 大城孝二世父母 神文代 牟梁里(一作浮雲村)之貧女慶祖有兒。頭大頂平如城。因名大城。家窘不能生育。因役傭於貨殖福安家。其家俵田數畝以備衣食之資。時有開士漸開。欲設六輪會於興輪寺。勸化至福安家。安施布五十疋。開咒願曰。檀越好布施。天神常護持。施一得萬倍。安樂壽命長。大城聞之。跳踉而入。謂其母曰。予聽門僧誦倡。云施一得萬倍。念我定無宿善。今茲困匱矣。今又不施。來世益艱。施我傭田於法會。以圖後報何如。母曰善乃施田於開。未幾城物故。是日夜國宰金文亮家有天唱云。牟梁里大城兒今托汝家。家人震驚使檢牟梁里。城果亡。其日與唱同時有娠生兒。左手握不發。七日乃開。有金簡子彫大城二字。又以名之。迎其母於第中兼養之。既壯。好遊獵。一日登吐含山捕一熊。宿山下村。夢熊變為鬼。訟曰。汝何殺我。我還啖汝。城怖懅請容赦。鬼曰。能為我創佛寺乎。城誓之曰喏。既覺。汗流被蓐。自後禁原野。為熊創長壽寺於其捕地。因而情有所感。悲願增篤。乃為現生二親創佛國寺。為前世爺孃創石佛寺。請神琳表訓二聖師各住焉。茂張像設。且酬鞠養之勞。以一身孝二世父母。古亦罕聞。善施之驗可不信乎。將彫石佛也。欲錬一大石為龕蓋。石忽三裂。憤恚而假寐。夜中天神來降。畢造而還城方枕起。走跋南嶺。爇香木以供天神。故名其地為香嶺。其佛國寺雲梯石塔彫鏤石木之功。東都諸刹未有加也。古郷傳所載如上。而寺中有記云。景德王代。大相大城以天寶十年辛卯始創佛國寺。歴惠恭世。以大歴九年甲寅十二月二日大城卒。國家乃畢成之。初請瑜伽大德降魔住此寺。繼之至于今。與古傳不同。未詳孰是。讚曰 牟梁春後施三畝 香嶺秋來獲萬金 萱室百年貧富貴 槐庭一夢去來今
- ^ しょうみょうあん 仏師 福井照明 仏像彫刻工房
- ^ 勝浦 2006, p. 16.
仏国寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 03:08 UTC 版)
青雲橋・白雲橋 国宝第23号。大雄殿正面の紫霞門に掛かる石橋。751年の時から存在している遺構と考えられている。上段の16段が白雲橋、下段の17段が青雲橋である。 蓮華橋・七宝橋 国宝第22号。青雲橋・白雲橋と同じ形式の石橋であるが、規模は小さめである。 多宝塔 国宝第20号。高さ10.4m。新羅時代751年の作と推定されている。四面に階段が設置され、塔下部は四本の柱で支えられている珍しい塔の形状をしている。また塔の周りには石獅子が配置されていたが、現在では1体のみ残る。 釈迦塔 国宝第21号。高さ8.2m。新羅時代の三層塔。1966年の復元工事中、塔中央部から世界最古級の木版印刷物である『無垢浄光陀羅尼経』が発見される。 金銅毘盧遮那仏 国宝第26号。新羅時代の作とされる毘盧遮那仏。 金銅阿弥陀如来座像 国宝第27号。新羅時代の作とされる阿弥陀如来像。
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