だらに【×陀羅尼】
だらり【×陀羅▽尼】
陀羅尼
陀羅尼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:43 UTC 版)
梵語の「dhāraṇī(ダーラニー)」を音訳したもので、「総持」、「能持」等と意訳される。「dhāraṇī」は、「保つ」・「保持する」を意味する「dhāraṇā(ダーラナー)」を起源とする語で、本来は「精神を統一しその状態を持続すること」を指していたが、後に精神統一や諸尊の憶念や教義を記憶するための教え(持句)を指すようになった。陀羅尼経典である『仏説無量門微密持経』(支謙訳)では、「陀羅尼」とは仏の功徳や徳性を列挙した持句で、これを思念することによって正覚にいたることを目的とするものとある。精神統一や仏随念のための手段である「陀羅尼」が次第に呪文化され、その神秘的な響きから唱えることによって現世利益を得られると信仰されるに至り、後に密教が成立すると「陀羅尼」は「真言」を包摂する形で説かれるようになり、やがて同一視されるようなった。陀羅尼の本文が、核心となる語を羅列した意味稀薄な文言であるのは、具体的な意味のある言葉だと日常的な連想や雑念を呼び起こすためとも、理解力の劣る仏教初心者やサンスクリット語を使用しない非インド・アーリヤ語系の者に仏教教義の核心を伝えるためとも言われる。 詳細は「陀羅尼」を参照
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陀羅尼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 20:04 UTC 版)
幅5.5cm、長さ25cm~57cmの料紙を繋げ、経巻にし、紙に包んでから、塔に納められた。静嘉堂文庫所蔵の17巻の繊維を調査したところ、楮及び楮との混合品が15点を占めた。ほとんどの料紙は、虫害防止を兼ね、黄檗で染められ、滲み防止の膠が引かれた。 『無垢浄光大陀羅経』において、 釈尊は、死期迫る婆羅門らに6種の陀羅尼を説き、『続日本紀』にも、「露盤の下に各根本・慈心・六度等の陀羅尼を置く」と記されているが、現存する陀羅尼、法隆寺蔵3962巻等には、「根本」「相輪」「慈心印」「六度」の4種しか残っていない。「修造」「大功徳聚」は『続日本書紀』にも記述がないので、最初から無かったとする説があるが、『無垢浄光大陀羅経』では「根本」「相輪」「修造」「自心(慈心)印」をセットにし、その後に「大功徳聚」「六波羅(六度)」を説いているので、前者4種の内、「修造」だけ除くのは不自然であり、むしろ婆羅門が問うたのではない「自心(慈心)印」を省略する方が自然とも言え、「修造」「大功徳聚」だけが現存しない可能性も捨てきれず、結論は出ていない。 陀羅尼は印刷物であるが、これほど大量の印刷物を、1枚の木版で印刷することは、版が磨耗し、不可能なので、複数の版を用いたか、金属版を用いた可能性も指摘されているまた、版ではなく、木製ないし銅製のスタンプを用いた説もある。 『無垢浄光大陀羅経』は、則天武后下の704年(長安4年)、ないし、后が譲位し、国号が「唐」に戻った705年(神龍元年)に、漢訳された。そして直後の706年(神龍2年・聖徳王5年)には、新羅で同経が受容された。 陀羅尼は上記のように、770年に制作されたもので、世界最古の印刷物と見なされていた。しかし1966年に、現在の大韓民国慶州市にある仏国寺釈迦塔内の舎利容器に、木版摺の『無垢浄光大陀羅経』が発見され、国宝 126号に指定された。料紙は新羅製で、唐にて689年(載初元年)11月から8世紀初頭にかけて用いられた則天文字で記されている。同寺は751年(景徳王10年)に創建され、釈迦塔も同時期に建立されたが、それ以降、改築記録が無い為、751年以前の制作と言えることになる。上記のことにより、百万塔陀羅尼は、「世界最古の印刷物」から、「制作年が明確な現存最古の印刷物」となった。
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