真言宗須磨寺派とは? わかりやすく解説

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須磨寺

(真言宗須磨寺派 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 23:10 UTC 版)

須磨寺
本堂
所在地 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
位置 北緯34度38分59秒 東経135度6分42.5秒 / 北緯34.64972度 東経135.111806度 / 34.64972; 135.111806座標: 北緯34度38分59秒 東経135度6分42.5秒 / 北緯34.64972度 東経135.111806度 / 34.64972; 135.111806
山号 上野山
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗須磨寺派
寺格 大本山
本尊 聖観音
創建年 伝・仁和2年(886年
開山 伝・聞鏡
開基 伝・光孝天皇(勅願)
正式名 上野山福祥寺
札所等 新西国三十三箇所第24番
真言宗十八本山第2番
摂津国八十八箇所第88番
摂津国三十三箇所第7番
西国愛染十七霊場第6番
福原西国三十三観音霊場第7番
神戸十三仏霊場第11番
神戸七福神(福禄寿尊
神戸六地蔵客番
役行者霊蹟札所
神仏霊場巡拝の道第72番(兵庫第7番)
文化財 木造十一面観音立像、絹本著色普賢十羅刹女像、本堂内宮殿及仏壇(重要文化財
不動明王立像、十三重石塔、当山歴代古記録2巻ほか(県指定有形文化財
木造聖観音坐像、紙本著色平敦盛画像、絹本著色天台四祖像(市指定有形文化財)
公式サイト 大本山 須磨寺
法人番号 4140005000837
須磨寺
須磨寺 (神戸市)
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須磨寺(すまでら)は、兵庫県神戸市須磨区須磨寺町にある真言宗須磨寺派の大本山寺院山号は上野山(じょうやさん)。本尊聖観音新西国三十三箇所第24番札所。正式名称は福祥寺である。

歴史

当寺に伝わる「須磨寺略歴縁起」によると、平安時代の初めに漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き上げた。その聖観音像を安置するために淳和天皇勅命によって恵偈山北峰寺が建立された。そして仁和2年(886年)に光孝天皇の勅命によって聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺よりその本尊である聖観世音菩薩像を遷して福祥寺の本尊としたのが当寺の始まりであるとされている[1][2]。しかし、「当山歴代」(兵庫県指定有形文化財)によれば、本尊の聖観世音は嘉応元年(1169年)に源頼政によって安置されたものであるとしている[2]

また、同年に頼政は寺領として所領3か所を当寺に寄進している。この頃の当寺は聖観世音菩薩・薬師如来を本尊としており房舎は12宇であった[3]

寿永2年(1183年)からの源平合戦(治承・寿永の乱)で縁起・記録類が散逸している[3]

寿永3年(1184年)2月7日にこの付近一帯で一ノ谷の戦いが行われ、源氏軍の熊谷直実平家軍の平敦盛を討ち取っている。その後、当寺には敦盛の首塚が建立されている[4]

延文5年(1360年)に金堂・釈迦堂・鐘楼と33体の仏像の半分、経典、法具が大火によって消失した[3]。その後、貞治4年(1365年)から再建が始められた。これより約50年かけて宮殿(応安元年(1368年)造、重要文化財)等の造営、整備が行われる[3]

応永34年(1427年)に赤松氏を攻めた細川氏によって本堂、惣門を残して境内が破壊されるが、翌応永35年(1428年)より復興が行われ、延徳2年(1490年)には三重塔が建立される[3]明応7年(1496年)には当寺の再興のために塔頭の大聖院住持・沙門弘源が勧進を行っている[3]

文亀2年(1502年)に寺山をめぐる争いが起こり、代官によって境内が破壊される[3]

大永6年(1526年)に講堂が上棟される。また、当寺は平敦盛ゆかりの寺として有名になっていたが、いつの頃からか青葉の笛を公開して笛見料を集めるようになっている[3]

文禄5年(1596年)閏7月13日の慶長伏見地震(文禄大地震)によって本堂や三重塔が倒壊している[3][4]

慶長7年(1602年)には豊臣秀頼片桐且元を奉行として本堂を再建している[3]

慶長年間(1596年 - 1615年)には花巌院、宝生坊、正堂坊、大聖院など15の塔頭があったが、寛政12年(1800年)には塔頭の数は12となっている[3]

寛延3年(1750年)に山崩れでいくつかの堂舎が大破し、宝暦年間(1751年 - 1764年)に改築が行われた[3]

1891年明治24年)に若木のにちなんで寺内桜の名所となり、当寺を中心とした大遊園地ができる[3]

1946年昭和21年)に真言宗須磨寺派が開宗されると[3]、当寺はその大本山となった。

1984年(昭和59年)に三重塔がようやく再建されている[4]

1995年平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災し、塔頭桜寿院本堂と塔頭蓮生院本堂が倒壊し、本堂、護摩堂、客殿、納骨堂などが破損するなどの被害を受けたが、後に復興された[4]

平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、敦盛首塚、義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡が存在する[1][2]。源平を偲んで訪れる文人も多く、境内には正岡子規松尾芭蕉句碑や、裏には、尾崎放哉の墓がある[1]

境内

  • 本堂 - 慶長7年(1602年)に豊臣秀頼片桐且元を奉行として再建[3]。ただし内陣の宮殿は応安元年(1368年)造である。1972年昭和47年)に文化庁の指導で全面解体修理が行われ、2005年平成17年)にも修理が行われている[4]
  • 護摩堂 - 1903年明治36年)再建。2012年(平成24年)改修[4]
  • 十三重石塔(兵庫県指定有形文化財) - 南北朝時代造。1961年昭和36年)に現在地に移設される。
  • 大師堂 - 2007年(平成19年)修復。大正時代の一時期、この堂には孤独奇矯の自由律の俳人尾崎放哉が堂守りとして住み込みをしていた[4]
  • 義経腰掛の松
  • 敦盛公首洗池 - 一ノ谷の戦い熊谷直実に討ち取られた平敦盛の首を洗ったとされている。
  • 八角堂(経木供養所) - 2017年(平成29年)10月1日落慶。以前の経木供養所を建て替えたもの[4]
  • ひとすじ辨財天 - 2016年(平成28年)改修。山髙大仏師の手による須磨琴を弾く姿の「ひとすじ辨財天」を祀る[4]
  • 出世稲荷社 - 鎮守社。2014年(平成26年)改修[4]
  • 鐘楼 - 釣られている梵鐘は「弁慶の鐘」の複製である。
  • 寺務所 - 1999年(平成11年)春に大改装。広間には須磨寺「からくり時計」が飾られている[4]
  • 宝物館 - 青葉の笛などの平敦盛と源平ゆかりの宝物や当寺の歴史的宝物が展示されている[4]
  • 唐門
  • 三重塔 - 1984年(昭和59年)再建。2014年(平成26年)に塗り替えが行われている[4]
  • 四国八十八箇所石仏群 - 三重塔の周囲に祀られている[4]
  • 親子地蔵堂
  • 敦盛首塚 - 平敦盛の首塚。なお、須磨浦公園にある敦盛塚には胴体が祀られている[4]
  • 青葉殿(しょうようでん) - 納骨堂。2004年(平成16年)春建立[4]
  • 奥の院 - 2013年(平成25年)改修[3]。本尊は弘法大師[4]
  • 本坊 - 真言宗須磨寺派の宗務所でもある。また、一絃須磨琴の保存会本部、稽古場にもなっている[4]
  • 書院 - 阿弥陀如来を本尊とする持仏堂でもある[4]
  • 庫裏
  • 源平の庭 - 一ノ谷の戦いで平敦盛と熊谷直実が一騎討ちする場面を再現した庭[4]
    • 平敦盛像
    • 熊谷直実像
  • 桜寿院 - 塔頭
  • 蓮生院 - 塔頭。1916年大正5年)に花火大会の飛火のため出火、焼失したが、1934年(昭和9年)に不動明王を本尊として現在地に再建された。蓮生とは熊谷直実が蓮生坊と名乗ったことに由来している[4]
  • 貞照寺 - 一ノ谷町にあった寺院[5]阪神・淡路大震災で被災したため、蓮生院の隣に移転。本尊は弘法大師(鯖大師[6]
  • 仁王門 - 源頼政によって再建。仁王像は伝・運慶および伝・湛慶の作であるという[4]
  • 正覚院 - 塔頭。
  • 亜細亜万神殿(ネパール大震災復興紀念堂) - 2016年平成28年)4月25日落慶。東南アジアインドの石仏が安置され、ネパール大地震被災者慰霊と復興を祈る場として整備された[4]

文化財

重要文化財

兵庫県指定有形文化財

神戸市指定有形文化財

文化環境保存区域

  • 福祥寺及びその周辺

神戸市文化環境保存区域歴史的建造物

  • 本堂
  • 護摩堂
  • 大師堂
  • 鐘楼
  • 書院
  • 仁王門

その他

前後の札所

新西国三十三箇所
23 能福寺 - 24 須磨寺 - 25 太山寺
真言宗十八本山
1 善通寺 - 2 須磨寺 - 3 清荒神清澄寺
摂津国八十八箇所
87 勝福寺 - 88 須磨寺
摂津国三十三箇所
6 大龍寺 - 7 須磨寺 - 8 勝福寺
西国愛染十七霊場
5 大龍寺 - 6 須磨寺正覚院 - 7 大聖寺
福原西国三十三観音霊場
6 浄徳寺 - 7 須磨寺 - 8 勝福寺
神戸十三仏霊場
10 多聞寺 - 11 須磨寺 - 12 無動寺
神戸七福神 福禄寿尊
神戸六地蔵
6 西光寺 - 客番 須磨寺
役行者霊蹟札所
神仏霊場巡拝の道
71 長田神社 - 72 須磨寺 - 73 海神社

周辺情報

所在地

  • 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8

交通アクセス

備考

本寺は由緒とかかわらず、B級スポットとして紹介されることが多い。また、本寺前の民宿には夏の高校野球選手権大会において各地の代表チームの宿泊所として使用されている民宿が多いことでも知られる。

青葉の笛を詠んだ芭蕉だが、実際に拝観料を払って見たかという点は定かではない[7]

脚注

  1. ^ a b c 須磨観光協会 - 歴史を知る
  2. ^ a b c 須磨寺 須磨寺について 2025年9月22日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 須磨寺 歴史年表 2025年9月23日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 須磨寺 境内のご案内 諸堂案内 2025年9月22日閲覧
  5. ^ 以前は真言宗大覚寺派の寺院だったが、現在は須磨寺派の寺院となっている。
  6. ^ 鯖大師 - 須磨観光協会
  7. ^ 芭蕉も渋った? 敦盛の笛「高すぎる拝観料」現代では無料に”. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞社 (2019年6月1日). 2019年6月1日閲覧。

関連項目

外部リンク




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