和田岬とは? わかりやすく解説

わだ‐みさき【和田岬】

読み方:わだみさき

神戸市兵庫区大阪湾突出する岬。神戸港の西にあり、造船などの工業地江戸幕府設けた砲台が残る。わだのみさき


和田岬

読み方:ワダミサキ(wadamisaki)

所在 兵庫県(JR山陽本線ほか)

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

和田岬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/10 22:30 UTC 版)

座標: 北緯34度39分10秒 東経135度11分13秒 / 北緯34.65278度 東経135.18694度 / 34.65278; 135.18694

和田岬の位置

和田岬(わだみさき)は、兵庫県神戸市兵庫区にある、大阪湾神戸港に面した。この岬が南西風と潮流を防ぐためにその北東側が天然の良港となり[1][2]、歴史上の大輪田泊・兵庫湊以来、神戸港が発展することになった。

周辺の住所は神戸市兵庫区和田宮通。明治時代以降、和田岬周辺は造船業をはじめとする重工業地区となっている[3][4][5]

地理

六甲山地から南流する妙法寺川・苅藻川の流出土砂および沿岸流によって形成された砂嘴。もともと、読みは同じで輪田和太等と呼ばれていた。昔は名勝地でもあった。

歴史

南北朝時代

太平記』に拠れば南北朝時代建武3年(1336年)5月25日には湊川の戦いの舞台となり、和田岬には新田義貞配下の脇屋義助大館氏明が布陣したという[6]

江戸時代

江戸時代末期に、勝海舟により和田岬砲台が造られたが実戦には使用されなかった。現在は、三菱重工業の敷地内になっている。

明治時代以降

明治期に撮影された和田岬砲台和田岬灯台

明治初期、和田岬灯台も設置されて1963年まで使用されている。また、神戸で初の水族館「和楽園水族館」も造られた。

明治時代中期以降に、先端部に三菱造船川崎造船所等の重工業が進出して工業地域として発展していった。三菱造船の系統をくむ三菱重工業神戸造船所や三菱造船の電機製作所の部門が分離して独立した三菱電機、川崎造船所の系統をくむ川崎重工業等の工場が建ち並んでいる。

1945年(昭和20年)10月13日、沖合で輸送船「華城丸(383トン)」が触雷により沈没[7]

和田岬の地名を有した施設

脚注

  1. ^ 大輪田泊”. 世界大百科事典 第2版. 2020年11月3日閲覧。
  2. ^ 戸田芳実. “大輪田泊”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2020年11月3日閲覧。
  3. ^ 和田岬”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2020年11月3日閲覧。
  4. ^ 和田岬”. 世界大百科事典 第2版. 2020年11月3日閲覧。
  5. ^ 藤岡ひろ子. “和田岬”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2020年11月3日閲覧。
  6. ^ 『太平記』巻十六「兵庫海陸寄手の事」
  7. ^ 日置英剛『年表 太平洋戦争全史』国書刊行会、2005年10月31日、767頁。ISBN 978-4-336-04719-9 



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