和田岬砲台
名称: | 和田岬砲台 |
ふりがな: | わだみさきとうだい |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 兵庫県 |
市区町村: | 神戸市兵庫区和田岬 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1921.03.03(大正10.03.03) |
指定基準: | 史2 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 江戸幕府ニテ造営セシモノニテ文久三年工ヲ起シ元治元年成レルモノナリ |
史跡: | 和歌山藩主徳川家墓所 和田山・末寺山古墳群 和田岡古墳群 和田岬砲台 和賀江嶋 咸宜園跡 品川台場 |
和田岬砲台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/04 01:58 UTC 版)
和田岬砲台(わだみさきほうだい)は、神戸市兵庫区にある砲台跡。国指定の史跡である。
和田岬の先端近く、三菱重工業敷地内に残る。勝海舟の設計で1863年(文久3年)着工、1864年(元治元年)完成。工費2万5千両。当時徳川幕府は同時に神戸の川崎、舞子と和田岬、西宮の香櫨園と今津、淡路島の松帆に同型の砲台を建設したが、現存するのは和田岬と香櫨園(西宮砲台)のみ。実戦には使用せずに終わる。「臼砲台」「石堡塔」と呼ばれていた。
現在は三菱重工業神戸造船所内にあるため、一般公開時以外は予約が必要である。
歴史
- 1863年(文久3年)勝海舟の設計により徳川幕府が建設、灘の嘉納次郎作が工事請負、着工。
- 1864年(元治元年)完成。
- 1921年(大正11年)兵庫県史跡第1号に指定[1]。
- 1925年(大正15年)屋根及び内部の大修理実施。
- 2009年(平成21年)内部・外部周辺大修理[2]。
- 2014年(平成26年)平成の大修理が完了。
構造
外郭部は塩飽諸島の御影石による石造、内部は神戸布引・鉄拐山のケヤキ材を使用した木造2階建て。当時は周囲に星型土塁が築かれていた。また内部には砲身冷却用の井戸がある。高さは約6間、周囲約21間。
交通アクセス
脚注
外部リンク
- "和田岬砲台". 神戸造船所. 三菱重工業. 2017年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月19日閲覧。
- “明治期における和田岬砲台 (PDF)”. 神戸市. 2018年4月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年2月25日閲覧。
座標: 北緯34度39分8.5秒 東経135度11分5.6秒 / 北緯34.652361度 東経135.184889度
固有名詞の分類
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