りしゅきょう〔リシユキヤウ〕【理趣経】
理趣経〈足利尊氏筆/〉
主名称: | 理趣経〈足利尊氏筆/〉 |
指定番号: | 880 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1902.07.31(明治35.07.31) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | 1357 |
検索年代: | |
解説文: | 南北朝時代の作品。 |
理趣経
主名称: | 理趣経 |
指定番号: | 1390 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1911.04.17(明治44.04.17) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 平安・鎌倉 |
年代: | 1185 1192 |
検索年代: | |
解説文: | 平安・鎌倉時代の作品。 |
理趣経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 03:45 UTC 版)
『理趣経』(りしゅきょう)、正式名称『般若波羅蜜多理趣百五十頌』(はんにゃはらみったりしゅひゃくごじゅうじゅ、梵: Prajñāpāramitā-naya-śatapañcaśatikā, プラジュニャーパーラミター・ナヤ・シャタパンチャシャティカー)は、『金剛頂経』十八会の内の第六会にあたる『理趣広経』の略本に相当する密教経典である。主に真言宗各派で読誦される常用経典である。
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注釈
- ^ 大意は「大いなる楽は金剛のごとく不変で空しからずして真実なりとの仏の覚りの境地を説く経」
- ^ 松長が一般向けの『理趣経』講義を行った所、「ポルノ教典か?」と興味本位で聴講に来た者もいたという。勿論誤解である。
- ^ 前述の大栗も述べるように、最澄と空海の話は俗に曲解されていることが多いが、空海と最澄の手紙のやり取りからするとこのようにしか解釈できない。なお、司馬遼太郎が『空海の風景』で面白おかしく脚色しているものが流布しているが、真言宗では司馬の小説を厳しく批判しており、司馬の親友の早坂暁に映画『空海』(1984年公開)の脚本を頼んだ時も、「司馬の解釈は映画に使わないでほしい」と申し渡した上、前述の宮坂の父、宮坂宥勝が司馬の小説に抗議している。(朝日新聞出版『週刊司馬遼太郎9・空海の風景・坂の上の雲 完結編・新選組血風録』所収の早坂の回想及び、司馬の小説のあとがきより)
- ^ 「依経」(えきょう)とは、文字通り宗派のよりどころとなる教えを持つ経典を指す。
- ^ 2000年代以前は立川流の側を性的思想を奉じた集団とする誤解があったが、21世紀現在は史料批判によって否定されている(「彼の法」集団を参照)
- ^ なお、この項目は太平洋戦争中に四国で出家した村岡の実体験である。ある檀家が『理趣経』の経文を覚えており、村岡の師僧の読経に唱和した所、僧は檀家を「ついてくるな!」と大喝し、「『理趣経』はお大師さんが在家のものには教えちゃならんといわれたんじゃ」と述べたという。理由は、前述の最澄の経文借用の件と同じである。
出典
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