木造弘法大師坐像とは? わかりやすく解説

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木造弘法大師坐像

主名称: 木造弘法大師坐像
指定番号 829
枝番 00
指定年月日 1938.08.26(昭和13.08.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 膝裏巧匠阿弥陀仏長快ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造弘法大師坐像〈/(大師堂安置)〉

主名称: 木造弘法大師坐像〈/(大師堂安置)〉
指定番号 1212
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造弘法大師坐像

主名称: 木造弘法大師坐像
指定番号 1572
枝番 00
指定年月日 1911.04.17(明治44.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 胎内応安八年舜慶等作ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代 1375
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造弘法大師坐像〈/(本堂安置)〉

主名称: 木造弘法大師坐像〈/(本堂安置)〉
指定番号 3066
枝番 00
指定年月日 1958.02.08(昭和33.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造弘法大師坐像〈康勝作/(御影堂安置)〉

主名称: 木造弘法大師坐像〈康勝作/(御影堂安置)〉
指定番号 124
枝番 00
指定年月日 2000.06.27(平成12.06.27)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1233
検索年代
解説文:  当寺西院御影堂みえいどう】の本尊で、左手膝上で掌を仰ぎ念珠水晶製・後補)を、右手屈臂して胸前五鈷杵木製)を執り椅子(後補)に坐すいわゆる真如親王様【しんにょしんのうよう】の弘法大師像である。
 ヒノキ材の寄木造で、頭躰幹部左右二材よりなり、内刳のうえ割首する。面部を割矧ぎ玉眼嵌入する。躰部背面板材左右二材)を当て、両躰側部、両脚部に各一材を矧ぐ。裙先および袈裟体部周囲への広がり部に数材を矧ぎまわす。像底地付から最大一三・二センチメートルの高さの位置状の刳り残し作るX線透過写真から像内面相部中央および腹部中央巻子縦に取り付けられているのが判明する表面は、錆下地彩色仕上げとするが、現状黒漆地を表している。五鈷杵左右二材製、漆箔仕上げになる。
 弘法大師像の作例は、文献によれば平安時代前期からあったことが知られるが、平安後期以降大師信仰急速な高まりにともない大師像の造立徐々にみられ始める。この趨勢受けて教王護国寺では、大師四百回忌翌年控えた天福元年一二三三)、親厳僧正しんごんそうじょう】により大師像の造立企てられた。この像の安置され西院北面御影堂称され西院御影供大衆的広まりとともに大師信仰中心地となり、一方本像は、後世数多く作られる大師像の根本となる。
 『東宝記第三西院によれば、本像は、天福元年一二三三)十月十五日、親厳僧正寺務のときに安置され作者について仏師康勝こうしょう法眼とある。また東寺百合文書の「教王護国寺西院御影供行事」(甲号一八号(4))に、この像は当初西院不動堂南面妻戸の内に安置され、のち延応二年(一二四〇)に北面移されたとある。この文書には康勝作と明記されており、同時代の文献なので作者比定間違いないであろう。彼が造立担当仏師抜擢され背景には、嘉禄三年一二二七東寺大仏師となった湛慶たんけい】(随心院文書)の推薦思わせる康勝運慶第四子で、建久年間一一九〇-九九年)に当寺南大門金剛力士像中門二天像の造立兄弟たち携わったこと(『東宝記』)を文献上の初見とし、嘉禎三年一二三七)以前没する東大寺地蔵堂地蔵菩薩像銘)まで、京都・奈良大寺造像に関わっている。現存作例として、本像の他に、法隆寺金堂阿弥陀如来像一二三二年)、六波羅蜜寺空也上人像がある。
 「真如親王様」といわれる弘法大師像と比べて形式的にはよくそれを踏襲しながらも、顔を正面させることで本尊としての威厳示し面貌衣文大づかみ肉取りにより現実感与えている。写実ややもすれば通俗に陥る危険もあるのだが、本像のこのような表現は、一面では弘法大師生身信仰に基づく現実性付与かとも思わせる。より本質的には、歴史的人物肖像としての存在感前面出したためと考えられ、また同時に運慶以降仏師世代の採りうべき作風をも予見しているかのようである。克明なリアリズム身上とする、同時代者の肖像とは同日論じられない所以である。それ故に、後世造像規範となった原本としての意義きわめて大きく肖像彫刻としてのみならず、運慶次世代仏師代表作として、その価値は非常に高いものと考えられる

木造弘法大師坐像

主名称: 木造弘法大師坐像
指定番号 3071
枝番 00
指定年月日 1958.02.08(昭和33.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に理趣経及び珠禅願文朱書する
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 経巻奥書 1325
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造弘法大師坐像

主名称: 木造弘法大師坐像
指定番号 3462
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に永仁二年十月熊野御山大仏師良円の銘がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1294
検索年代
解説文:  等身よりやや小ぶり造られ弘法大師像で、材の一木造玉眼嵌入彩色仕上げになる。頭体幹部は前後二材よりなり、内刳(像内に貫通)を施し割首とする。これに両足部横一材、両膝奥各一材を矧付ける。
 像内背面墨書銘により、永仁二年(一二九四)に熊野御山大仏師良円造進したことがわかる。銘文両足部内刳面にもあり、「大伝法院御領小池村」に続き本像造立関係者と見られる六人僧俗の名が記されている。大伝法院とは本寺に近い根来寺のことで、小池村本寺のある地域含めたこのあたりの一帯いうらしい
 根来寺には明徳二年(一三九一三条法印定円作の銘がある弘法大師像が伝存するが、本像の作者良円もこの派の系統仏師考えられ元亨三年一三二三)に愛知長隆寺阿弥陀如来像両脇侍像を造った三条少納言常円子息法橋良円同一人物である可能性が高い。その造形いくぶん類型化みられるものの堅実で、鎌倉後期円派仏師による基準作例として注目される
 像内には版本種字両界曼荼羅阿弥陀三尊弘法大師像各一枚および地蔵菩薩像画像納められていた。地蔵菩薩像には弘安二年(一二七九)正月南都般若寺沙門信空刊記がある。信空叡尊高弟西大寺中二世となった人物である。これらは本像造立事情考えるうえで重要な資料であるのみならず遺品希な当代大型版画としても貴重な存在である。
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木造弘法大師坐像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「木造弘法大師坐像」の解説

重要文化財南北朝時代護摩堂安置像高77.3センチ護摩堂の東壇に安置する五鈷杵数珠執る、通形の弘法大師像である。銘文により、南都椿井仏師の慶秀が法隆寺仏師舜慶率いて応安8年1375年)に制作したことがわかる。

※この「木造弘法大師坐像」の解説は、「法隆寺の仏像」の解説の一部です。
「木造弘法大師坐像」を含む「法隆寺の仏像」の記事については、「法隆寺の仏像」の概要を参照ください。

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