みえい‐どう〔‐ダウ〕【▽御影堂】
御影堂
知恩院本堂(御影堂)
名称: | 知恩院本堂(御影堂) |
ふりがな: | ちおんいんほんどう(みえいどう) |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 0222 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 国宝 |
指定年月日: | 2002.05.23(平成14.05.23) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 京都府 |
都道府県: | 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町 |
所有者名: | 知恩院 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行十一間、梁間九間、一重、入母屋造、正面向拝五間、背面向拝三間、 本瓦葺 |
時代区分: | 江戸前期 |
年代: | 寛永16(1639) |
解説文: | 知恩院は,京都東山の山麓にある浄土宗総本山で,本堂(御影堂)は中心建築の建ち並ぶ伽藍中段にある。 本堂(御影堂)は,寛永10年(1633)焼失後,徳川家光によって寛永16年(1639)に建立された。桁行11間,梁間9間,入母屋造,本瓦葺の建物である。 全体として外観は和様でまとめ,内部は禅宗様の巧みな技法を駆使して柱が林 立した空間をつくり,浄土宗本堂の建築的特徴を最大限にあらわしている。 意匠や技術の面において極めて優れ完成度も高く,江戸初期における徳川家の大造営の代表として位置づけられ,我が国の建築史上極めて高い価値がある。 総本山本堂に相応しい壮大な規模と雄麗な内部を創出し,我が国の社会に広く影響を及ぼした浄土宗の中心建築として,特に深い文化史的意義を有している。 |
開山堂
(御影堂 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 23:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動開山堂(かいさんどう、かいざんどう)は、仏教寺院において開山の像を祀った堂のこと。寺院の「開山」とは、当該寺院に最初に住した僧のことを指すのが通例で、寺院の創立を発願し、経済的基盤を提供した人物である「開基」とは区別される。開山や宗祖の像を安置する堂を、寺によっては祖師堂(そしどう)、御影堂(みえいどう、ごえいどう)、影堂(えいどう)などともいう。宗派や寺院によっては、祖師堂や御影堂が本尊を安置する本堂よりも規模が大きく重視されることがある。
開山堂の例
- 善應寺(仙台市)の開山堂 - 仙台市指定有形文化財(建造物)。 もとは茅葺きで正面入口に廂がついていた。現在は、11尺(約3.3m)四方の宝形造瓦葺きの建物である伊達綱村書の「鶏足」の扁額が掛けられている。
- 永保寺(岐阜県多治見市)の開山堂 - 国宝。 入母屋造檜皮葺き。南北朝時代の建築。
- 東福寺(京都府京都市)の開山堂 - 別名「常楽庵」。重要文化財。正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴とし、祀堂に開山国師像を安置する。
- 東大寺(奈良県奈良市)の開山堂 - 国宝。初代別当である良弁を祀る。国宝「良弁僧正坐像」が安置されている。
- 上醍醐(京都府京都市)の開山堂 - 重要文化財。慶長11年(1606年)再建。
- 西福寺(新潟県魚沼市)の開山堂 - 新潟県重要文化財。御開山芳室祖春大和尚や道元、歴代住職を奉る。石川雲蝶作の道元禅師猛虎調伏の図で有名。
御影堂の例
- 東寺(京都府京都市)の御影堂 - 大師堂とも。国宝。
- 知恩院(京都府京都市)の御影堂 - 国宝[1]。
- 東本願寺(京都府京都市)の御影堂 - 重要文化財。建築面積において世界最大の木造建築物。
- 西本願寺(京都府京都市)の御影堂 - 重要文化財。
- 唐招提寺(奈良県奈良市)の御影堂 - 重要文化財。国宝「鑑真和上坐像」を奉安する。
- 金剛峯寺(高野山)(和歌山県伊都郡高野町)の御影堂 - 高野山の壇上伽藍の中にある。
- 善通寺(香川県善通寺市)の御影堂 - 登録有形文化財。大師堂とも。空海生誕の場所。
祖師堂の例
- 妙成寺(石川県羽咋市)の祖師堂 - 重要文化財。1624年の建築。
- 法華経寺(千葉県市川市)の祖師堂 - 重要文化財。1678年の建築。
- 妙福寺(東京都町田市三輪町)の祖師堂 - 東京都指定文化財。室町時代の建築遺構。
- 妙福寺(東京都大田区池上)の祖師堂 - 登録文化財。1833年の建築。
- 妙本寺(神奈川県鎌倉市)の祖師堂 - 1838年頃の建築。
関連項目
脚注
御影堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 15:38 UTC 版)
重要文化財。文化財指定名称は「旧一乗院 宸殿 殿上及び玄関」。鑑真の肖像彫刻(国宝)を安置する(開山忌前後の6月5日 - 7日のみ公開)。建物は興福寺の有力な子院であった一乗院の宸殿で、慶安2年(1649年)の建立。一乗院が廃寺となった後、奈良県庁とされたり、1962年(昭和37年)までは奈良地方裁判所の庁舎として使用され、1964年(昭和39年)に唐招提寺に移築された。障壁画は鑑真像に奉納するため、1971年(昭和46年)から1982年(昭和57年)にかけて日本画家東山魁夷によって新たに描かれたもの。 乾漆鑑真和上坐像(国宝) - 像高80.1センチメートル。伝承によれば鑑真の弟子の忍基が、唐招提寺の講堂の梁が折れる夢を見、師僧の死去が間近いことを知って造らせたものという。鑑真が没した天平宝字7年(763年)頃の作と推定され、日本最古の肖像彫刻といわれている。脱活乾漆造だが、膝上で組んだ両手は木製である。肖像彫刻としては異例の、目を閉じた形に表される。この像は1977年にはパリのプティ・パレ美術館で展示され、1980年(昭和55年)には中国に「里帰り」して揚州(鑑真の故郷)と北京で公開された。2013年(平成25年)、複製像が制作された。 御影堂障壁画 - 東山魁夷筆。足かけ10年以上にわたり、作者が日本と中国の各地でのスケッチを基に制作したもので、鑑真に故郷中国と日本の風景を奉納し、御霊を慰めるという趣旨で描かれたものである。中国の安徽省にある黄山の幻想的な風景を墨だけで写し出している。東山は生前「黄山を見れば、あらゆる山水画の技法がそこから生まれたことがわかる」と語っている。御影堂の南側は東の「宸殿の間」に『濤声』16面、西の「上段の間」に『山雲』10面(床の間、床脇、天袋含む)を描く。これらは彩色画で、日本の海と山の風景を表し、1975年に完成したものである。御影堂の北側は、鑑真像の厨子がある「松の間」に『揚州薫風』26面、西の「桜の間」に『黄山暁雲』8面、東の「梅の間」に『桂林月宵』8面、これらは水墨画で、鑑真の故郷揚州を含む中国の風景を表し、1980年に完成したものである。厨子内壁には『瑞光』(1981年作)を描く。
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