その他諸堂の仏像とは? わかりやすく解説

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その他諸堂の仏像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 23:24 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「その他諸堂の仏像」の解説

上に紹介済みのものを除く、法隆寺境内諸堂安置仏像紹介する。これらの諸堂原則として一般に非公開である。 木造伝勧勒僧正坐像 重要文化財平安時代経蔵安置像高90.6センチ老齢僧形の像で、上体前傾させて坐すヒノキ材の左右矧ぎ内刳をほどこす。寺伝では聖徳太子の師であった百済の僧・勧勒(かんろく)の像とされ、新住職の晋山のときにのみ開扉された像であった実際は、特定の人物の肖像ではなく聖僧像」として作られたものと推定される木造文殊菩薩騎獅像 重要文化財室町時代宝珠院本堂安置像高43.2センチ法隆寺の子院の一つである宝珠院本堂安置される獅子上の蓮華座坐す通例文殊像である。像表面金泥截金仕上げる。銘文により、長禄3年1459年)舜覚房春慶の作と判明する本体のみならず台座光背当初のものを存する点で貴重である。 木造阿弥陀如来坐像 重要文化財平安時代。三経院安置像高88.4センチ定印を結ぶ阿弥陀像。小ぶり目鼻立ち平行線状に整えられ衣文など、典型的な定朝様作例であり、平安末期12世紀頃の作とみられる法隆寺文書天承2年1132年阿弥陀像を施入したとの記載があり、本像がそれにあたる可能性もある。 木造持国天・増長天立像 重要文化財平安時代。三経院安置像高持国天が94.5センチ増長天が93.4センチ持国天右脚高く上げて左脚1本で立つ。増長天右手上げ宝塔捧持する姿と思われるが、現状宝塔失われている。当初彩色が残る。同じく三経院に安置する阿弥陀如来像と同じ頃の制作思われ阿弥陀像と一具であった可能性もある。重要文化財指定名称は持国天増長天となっているが、本来の像名はそれぞれ広目天及び多聞天であるとする説もある。なお、『奈良六大大観』では左脚を上げる像を持国天、もう1躯を増長天としているが、『国宝・重要文化財大全』(毎日新聞社)では前者増長天後者持国天としている。 木造地蔵菩薩半跏像 重要文化財鎌倉時代地蔵堂安置像高50.0センチ錫杖数珠を持つ、通形の地蔵菩薩像である。左脚を踏み下げて坐す右足先を左大腿部乗せていないので、厳密には「半跏像」ではなく踏み下げ坐像」である。頭体主要部前後2材から木取りし、頭部割り放して玉眼嵌入する。胸飾、腕釧、持物錫杖頭部などは銅製肉身部は白に塗り着衣彩色截金仕上げる。13世紀頃の作品塑造薬師如来坐像 重要文化財食堂じきどう安置奈良時代像高60.9センチ食堂須弥壇上の厨子内に安置される食堂には同じく塑造梵天帝釈天像と四天王像安置されていたが、これらは大宝蔵院移された。天平19年747年)の『資財帳』には本像と同定できる像の記載がない。本像が食堂安置されていたことが確認できるのは、鎌倉時代の『聖徳太子伝私記』(顕真著)以降である。本像は服制が古様で、奈良時代天平期の作とみられるが、像表面は厚い漆箔おおわれており、どこまで当初の姿を伝えるものか定かでない台座金堂諸仏同様の「宣字形台座」と呼ばれる箱形のものだが、近世補作とみられる木造阿弥陀如来及び両脇侍像 重要文化財平安時代新堂安置像高中尊85.5センチ、左脇侍104.7センチ、右脇侍103.0センチサクラ材の一木造で、内刳はない。中尊古風な八角形裳懸座坐す両脇侍の反花座裏に弘安7年1284年)、越前法橋定慶修理銘がある。中尊両脚部の衣文をまばらに彫るのは珍しい形である。平安時代後期11世紀頃の作。 木造四天王立像 重要文化財平安時代新堂安置像高持国天109.3センチ増長天109.7センチ広目天110.5センチ多聞天109.2センチ本体から足下邪鬼大半までをサクラ材の一木から木取りする。一部に塑土盛上げ併用している。忿怒の相を控えめ表した温雅な作風の像で、制作時期は同じ新堂阿弥陀三尊と同様、11世紀とみられる木造不動明王及び二童子立像 重要文化財護摩堂安置不動明王平安時代二童子南北朝時代像高不動明王93.0センチ矜羯羅童子44.0センチ制多迦童子44.0センチ護摩堂本尊である。中尊不動明王立像で、ヒノキ材の一木造。眼は彫眼とする。右手宝剣左手羂索持ち天地眼、牙上下出とする、一般的な形の不動明王像である(「天地眼」は右目を見開き、左目を半眼にする。「牙上下出」は右の牙を上方に、左の牙を下方に出す)。彩色截金仕上げるが、現状古色呈する。随侍する二童子像はヒノキ材、一木造玉眼用いる。制作不動像より遅れて南北朝時代康暦2年1380年)の作である。左(向かって右)の矜羯羅童子合掌し、右の制多迦童子右手に宝棒を持ち左手は肩布をつかむ。不動像の台座火焔光背明和2年1765年)の補作二童子像の台座康暦2年舜慶補作である。舜慶は同じ堂内安置する弘法大師像の作者。。 木造弘法大師坐像 重要文化財南北朝時代護摩堂安置像高77.3センチ護摩堂の東壇に安置する五鈷杵数珠執る、通形の弘法大師像である。銘文により、南都椿井仏師の慶秀が法隆寺仏師舜慶率いて応安8年1375年)に制作したことがわかる。 木造阿弥陀如来及び両脇侍立像 重要文化財子院北室院本堂安置像高中尊97.9センチ、左脇侍63.6センチ、右脇侍63.0センチ中尊両脇侍とも立像いわゆる来迎形の阿弥陀三尊で、観音菩薩両手蓮台亡者乗せるためのもの)を捧持し、勢至菩薩合掌する姿に表す。寄木造だが、表面の仕上げの層が厚いため、構造細部不明である。粉溜(ふんだみ)仕上げ玉眼使用する中尊光背頭光身光部を木造とし、周縁部金銅透彫である。両脇侍の光背木造頭光周囲金銅製の火焔宝珠配する両脇侍の宝冠装身具垂髪銅製である。

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