木造四天王立像とは? わかりやすく解説

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木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 3120
枝番 04
指定年月日 1962.02.02(昭和37.02.02)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 所在古保利薬師堂
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 315
枝番 00
指定年月日 1914.04.17(大正3.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 室町
年代
検索年代
解説文: 室町時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 328
枝番 00
指定年月日 1914.04.17(大正3.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安鎌倉
年代
検索年代
解説文: 平安鎌倉時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 372
枝番 00
指定年月日 1913.07.15(大正2.07.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 423
枝番 00
指定年月日 1915.08.10(大正4.08.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 461
枝番 00
指定年月日 1900.04.07(明治33.04.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 596
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 676
枝番 00
指定年月日 1911.08.09(明治44.08.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 719
枝番 00
指定年月日 1921.04.30(大正10.04.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 国天多聞天ノ足〓ニ建暦二年八月六日造立ノ銘アリ
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代 1212
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 825
枝番 00
指定年月日 1917.08.13(大正6.08.13)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 971
枝番 00
指定年月日 1942.12.22(昭和17.12.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像(金堂安置)

主名称: 木造四天王立像(金堂安置
指定番号 42
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書 広目天像の光背裏面に「山口大口費上而次木二人作也」/多聞天像の光背裏面に「薬師徳保上而〓師手古二人作也」の銘がある
員数 4躯
時代区分 飛鳥
年代
検索年代
解説文: 飛鳥時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1049
枝番 00
指定年月日 1937.08.25(昭和12.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1104
枝番 00
指定年月日 1938.08.26(昭和13.08.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1218
枝番 00
指定年月日 1912.09.03(大正1.09.03)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像〈/(所在観音堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(所在観音堂)〉
指定番号 1247
枝番 00
指定年月日 1923.03.28(大正12.03.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像〈/(所在金堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(所在金堂)〉
指定番号 1371
枝番 00
指定年月日 1902.04.17(明治35.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1480
枝番 00
指定年月日 1902.04.17(明治35.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1486
枝番 00
指定年月日 1909.09.21(明治42.09.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造四天王立像〈/(上堂四天王)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(上堂四天王)〉
指定番号 1515
枝番 00
指定年月日 1901.03.27(明治34.03.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造四天王立像〈/(新堂安置)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(新堂安置)〉
指定番号 1524
枝番 00
指定年月日 1902.04.17(明治35.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像〈/(所在講堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(所在講堂)〉
指定番号 1562
枝番 00
指定年月日 1909.04.05(明治42.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像〈/(所在東金堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(所在東金堂)〉
指定番号 57
枝番 00
指定年月日 1952.11.22(昭和27.11.22)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像〈/(所在伝法堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(所在伝法堂)〉
指定番号 1574
枝番 00
指定年月日 1915.08.10(大正4.08.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1780
枝番 00
指定年月日 1925.08.25(大正14.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 広目天像の左足〓に巧匠快慶アン梵字阿弥陀仏刻銘がある
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1781
枝番 00
指定年月日 1925.08.25(大正14.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1826
枝番 00
指定年月日 1926.04.19(大正15.04.19)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1846
枝番 00
指定年月日 1917.04.05(大正6.04.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1868
枝番 00
指定年月日 1902.07.31(明治35.07.31)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像〈/(所在本堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(所在本堂)〉
指定番号 1939
枝番 00
指定年月日 1944.09.05(昭和19.09.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 1973
枝番 00
指定年月日 1919.08.08(大正8.08.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造四天王立像〈/(所在阿弥陀堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈/(所在阿弥陀堂)〉
指定番号 2068
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 2095
枝番 00
指定年月日 1915.03.26(大正4.03.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造四天王立像(所在金堂)

主名称: 木造四天王立像(所在金堂
指定番号 72
枝番 00
指定年月日 1953.03.31(昭和28.03.31)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文: 奈良時代作品

木造四天王立像


木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 2119
枝番 00
指定年月日 1918.09.12(大正7.09.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 3030
枝番 00
指定年月日 1955.06.22(昭和30.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 持国天像内に康治元年六月廿四日増長天像内に永治二年五月十七日の造立供養の銘がある
員数 2躯
時代区分 平安
年代 1142
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像(所在釈迦堂)

主名称: 木造四天王立像(所在釈迦堂
指定番号 3171
枝番 00
指定年月日 1964.05.26(昭和39.05.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 3398
枝番 00
指定年月日 1987.06.06(昭和62.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  この四天王像四躯は、この寺の秘仏本尊である前項如意輪観音像祀る厨子外の四隅安置されている。
 いわゆる三尺立像で、その大きさ坐高二尺ばかりの本尊守護尊としてふさわしく制作時期もほぼ同じ頃、十二世紀前半推定される。しかし、四天王像は、いずれも都での造像思わせる洗練された作風示しており、一木割矧造(一材で像の概形彫り、一旦割放して内刳り施し、再び矧合わせる)の技法にも手慣れたところがうかがわれ本尊像と本来一具同作のものであるかどうか定かでない
 各像の頭部小さめ下半身長いプロポーション動きひかえた躰勢、さらには両脚部の軽快なつくりは、康平四年(一〇六四仏師長勢の作と考えられる京都広隆寺十二神将像国宝)に近いところがあるが、躰躯はかなり量感減じて、甲・衣の彫り浅くなっているあたり、制作時期下降を示すものであろうまた、広目天像の両眼大きく見開き、口をへしめたユーモラスな表情は、平安時代後期奈良興福寺板彫十二神将像国宝)の中の真達羅大将像のそれに相通じる趣がある
 四天王像は、仏法守護尊像として、古くから信迎造立され、各時代通してその遺品少なくないが、平安後期都風を示す四躰一具存する作例意外に少ない。この大門寺像は、中世頃に彩色補われ現状、矧目等の緩みがあるものの、後世大きな改変はみられず、数少ない当代都作として高く評価される

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 3436
枝番 00
指定年月日 1993.01.20(平成5.01.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  本寺木造弥勒仏及両脇侍像重文)と一具として製作されとみられる等身四天王像である。
 四像とも材の寄木造、頭体幹部は左右二材より造り内刳うちぐり】のうえ割首【わりくび】とし、両肩をはじめ適宜別材を矧【はぎ】足す構造になる。表面サビ下地漆塗彩色および漆箔仕上げとする。各像ともに彩色はほとんど剥落し、持物台座を後補とし、本体の小矧材にも後補をまじえる総じて保存状態良好といえる
 控え目な筋肉描写による忿怒表情、腰幅の広い太造りの体躯おっとりした身のこなしにはいかにも藤原時代風の穏和な気分感じられる。その作風にはたとえば岩手中尊寺金色堂三壇諸仏中、元来藤原清衡の壇のものとみられる二天像などに近く、製作は弥勒三尊像と同様、十二世紀半頃と推定される
 開口する増長天広目天像には閉口する他二像に較べて体勢大きな動き与えられ、また広目天像の諧謔的表情多聞天像の腰高スマートな体形など、四体の形制には少しずつ変化付けながら、群像としてのまとまりはよく保たれており、三尊像を含めていずれも洗練された典型的な藤原和様統一されている。半丈六弥勒像を中心としてこれらの像が立ち並ぶさまは壮観であり、宇佐神宮中心に都との結び付きの強い当地方の文化的先進性を示す遺品として評価される
 本寺元弘三年一三三三)に創建され、翌年後醍醐天皇勅願寺となったこの地方名刹であるが、『太宰管内志』には本寺初め近く江島村在したと記され弥勒三尊四天王像この前寺院よりもたらされ可能性もあろう。

木造四天王立像(新禅院伝来)

主名称: 木造四天王立像(新禅院伝来
指定番号 3445
枝番 00
指定年月日 1994.06.28(平成6.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代 1281
検索年代
解説文:  東大寺禅院廃絶)に伝来した四天王像で、現在は真言院地蔵堂安置されている。各像像内に納められていた白檀五輪塔金光明経四天王品などの経典類により新禅院聖守しようしゆ】(一二一五九一)が蒙古調伏祈念して弘安三年一二八〇)夏がら翌四年三月にかけて発願造像したもの判明した願文建治三年一二七七)に東大寺大勧進に任ぜられた聖守自筆とみられ、文章中に亀山上皇後宇多天皇はじめとする檀越あるいは聖守に縁の深い人々の名が織り込まれている。
 広目天材、他は材を用いるが、いずれも頭・体部通して前後矧とし、玉眼【きよくがん】、彩色仕上げとする。四体相互に若干作風相違みられるが、衣縁のはためくさまや各部質感巧みにとらえられ、衣甲の細部まで入念に出されている。納入品には作者の名は見えないが、建治三年一二七七)に聖守により東大寺大仏師に補任された慶守(運慶の會孫にあたる仏師慶秀と同一人物とみられる)が中心になっての造像考えられこの頃慶派仏師力量を示す佳作として推賞される。彩色保存状態のよさも特筆される
 元冦に際して宮中主要寺院をはじめ、各地調伏のための修法等が頻繁に行われたことが記録にみえるが、このとき本尊として新造されたことが明らかな仏像画の遺品意外に少なく、本像はその一例としても貴重である(図版一八一九ページ参照)。

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 3453
枝番 00
指定年月日 1995.06.15(平成7.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  本堂須弥壇上の四隅に、釈迦三尊像囲んで安置される四天王像である。前方持国天左手を腰に当て右手振り上げて三鈷執り増長天左手挙げて戟を突き右手を腰に当てて両者対称的な動勢表し後方広目天左手経巻右手に筆を持ち多聞天左手は腰脇で戟を執り右手宝塔捧げ持つ。また肉身の色は持国を緑、増長を赤、広目を白、多聞を青に塗り分ける。大仏殿鎌倉再興にあたり運慶快慶らが製作した四天王像の形制・身色が同様であったことが記録から知られている。こうしたいわゆる大仏殿四天王像遺品少なくないが、本像はその最古例である快慶作の金剛峯寺像(重要文化財)と甲制の細部に至るまで共通するところが多く、おそらく大仏殿像にかなり忠実に依って造られたものであろう
 持国多聞天像は左右二材矧、増長広目天像は前後割矧の構造になる。作風もこれに応じて二様認められ前者忿怒形相生彩があり、太造りの充実した造形示しているのに対して後者顔面筋肉描写がやや単調で、全体まとまりのよさが感じられる十三世半ば頃の慶派仏師の手になる作品とみられるが、四躯とも堂々として力強く動勢把握も的確で、そのできばえはこの種の四天王像のなかで出色ものといえよう。また着衣や甲に各種花文を主体として、象や虎、孔雀といった鳥獣密教法具をまじえた多彩な彩色文様鮮やかに残り当初銅製光背および宝冠邪鬼完備する保存状態のよさも特筆される

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 3463
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  等身一木造四天王像で、いずれも兜をかぶる姿に表される黒石寺本堂須弥壇上に安置されている。
 前方持国増長天はいずれケヤキ(か)の大きな一材の木裏用いて木取りされ、背面下半身方形の背刳りを施す構造になる。持国天両肩より先、増長天左前半ばより先、右肩より先等が後補で、表面白地彩色とするがほとんど剥落わずかに増長天の袴の唐草文墨描)が認められる程度である。
 これら二体は作風もよく似ており、頭部小さめで、下顎張った面部それぞれ個性的な大ぶり目鼻立ち刻み出し体躯は腰を強く捻り上体傾けて激し動きを表す。側面観では頭部から胸にかけての奥行浅く下半身著し肥大強調されるこうした体型や、陰刻線を主体とした衣文【えもん】の彫法、あるいは持国天の頬がこけ、上唇突き出した顔つきなどの特色には貞観四年(八六二)銘の黒石寺本尊薬師如来像重文)と通じるところがあり、おそらく本尊像同時期に同系の作者によって造られたとみてよいであろう
 広目多聞天カツラ材製で、広目天右肩を通る線で体部左右に割って内刳り施し多聞天前方二体と同様、下半身方形の背刳りを行う。後補部広目天両手先、右足首以下、多聞天の左肩より先、右肘より先、両足首以下などで、彩色はやはり剥落著しいが広目天胸甲や肩当の繧繝による花文など、各所文様認められる
 広目天太造りで、体躯構え方や甲制には増長天倣った点があり、また多聞天動き控えた姿は他の像と多少異なった印象与えるが、その面貌にはやはり前方の二体を意識したようなところが見受けられる。これら後方像の作風持国増長天比べて穏やかさ増しているもののなお平初期の風をとどめており、腕部まで共木彫出とする構造古式で、おそらく十世初めころまでに四体一具をなすべく、追加造像されたものとみられる
 東国古代彫像代表する遺品のひとつといえ、ことに持国増長天薬師如来像とともに九世彫刻基準作例として価値が高い。

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 3468
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  現在、本寺五重塔内の須弥壇四方安置される四天王像である。持国天左手を腰に当て右手振り上げて三鈷執り増長天左手挙げて戟を突き右手を腰に当て、この両者動的な表現をしている。一方広目天多聞天は臂を曲げて後方に引き、持物執る静的動勢とっている。また肉身持国天が緑、増長天が赤、広目天が白、多聞天が青(現状後補)にそれぞれ彩色するこうした四天王像組合せは、鎌倉時代再建東大寺大仏殿四天王像形式襲ったものとみられ、鎌倉初頭快慶によって造られ和歌山金剛峯寺像(重文)を代表的遺品とするこの種のいわゆる大仏殿四天王像形式や身色に至るまで忠実に共通している。
 各像ともヒノキ材の竪一材から頭躰幹部前後矧ぎにして、割首、割足して内刳り施している。また表面は、天冠台や腰甲、甲の縁などに漆箔を施すほかは白地彩色とし、輪郭括った繧繝による花文を多用した植物文によりほとんどすべての文様構成されている。こうした繧繝による花文の趣向建暦二年(一二一二)の造立とされる浄瑠璃寺吉祥天像重文)に相通じ大柄で力強い文様表現には天平風の古様さが感じられ鎌倉期慶派仏師諸作品にみられる彩色文様傾向うかがえる
 四躰いずれも動勢把握が的確で、躰部の動態表現に応じて着衣や袖、裳裾まで写実的に表現されている。また、小像ながら入念かつ深く鋭い彫り口がなされ、鎌倉初期とされる興福寺西金所在金剛力士像国宝)のように緊張感みなぎっており、同じ大仏殿四天王像なかでも最も佳作とされている快慶作の銘のある金剛峯寺像に匹敵する造形を示す。
 本一具像についての伝来詳らかにできないが、建保二年(一二一四)ころに建立され五重塔安置四天王像という見解提唱されている。塔にともなって製作されたかは直ちには決めがたいものの、作風文様等のうえから本一具像をこのころ造像とみて大過なかろう。本躰の彩色や、別製光背や冠繒、あるいは足下邪鬼なども当初のものがよく残るなど保存状態良好で、大仏殿四天王像なかでも初期位置する十三世初頭慶派の有力仏師の手になる優品として推奨される

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 78
枝番 00
指定年月日 1953.02.14(昭和28.02.14)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像(講堂安置)

主名称: 木造四天王立像(講堂安置
指定番号 85
枝番 00
指定年月日 1954.03.20(昭和29.03.20)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像〈康慶作/(所在南円堂)〉

主名称: 木造四天王立像〈康慶作/(所在南円堂)〉
指定番号 87
枝番 00
指定年月日 1954.03.20(昭和29.03.20)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代 1189
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 33
枝番 00
指定年月日 1927.04.25(昭和2.04.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造四天王立像

主名称: 木造四天王立像
指定番号 191
枝番 00
指定年月日 1925.04.24(大正14.04.24)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 4躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品
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木造四天王立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「木造四天王立像」の解説

重要文化財平安時代像高持国天201.3センチ増長天194.8センチ広目天197.0センチ多聞天204.0センチ大講堂須弥壇四隅に立つ。ヒノキ材、寄木造。頭体部通じ正中両側とに矧ぎ目があるが、うち正中矧ぎ目は別材を寄せたものでなく、割矧とみられる全体に太作り体躯抑揚少なく制作10世紀末から11世紀前半とみられる。ただし、4躯のうち広目天像のみ作風異なり別に制作されたものと考えられている。各像の天衣持物光背邪鬼とその下の方座は後補である。

※この「木造四天王立像」の解説は、「法隆寺の仏像」の解説の一部です。
「木造四天王立像」を含む「法隆寺の仏像」の記事については、「法隆寺の仏像」の概要を参照ください。

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木造地蔵菩薩立像重要文化財。鎌倉時代。像高89.8センチ。もと東大寺の勧進所公慶堂に安置されていた像。勧進所八幡殿の僧形八幡神坐像、俊乗堂の阿弥陀如来立像とともに、東大寺に伝わる快慶作の仏像の一つである。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ、通形の地蔵像である。右足を軽く踏み出し、それに伴って衣の文様に変化が生じている。像表面の彩色、截金文様、銅製の装身具などは当初のもの。構造は、彩色が厚く残っているために詳細は不明だが、頭体部を一材から彫成し、前後に割り矧いでいると推定される。光背は亡失している。台座は蓮華座の部分は他の仏像からの転用、その周囲に張り付けた雲形の部分は後補である。右足枘に「巧匠法橋快慶」の刻銘がある。快慶が法橋の僧位に任じられたのは建仁3年、法眼に昇任したのが承元2年から4年の間であり、本像はこの間の作である。快慶の作品は多数現存するが、法橋時代の作品で現存するものは本像以外には他に1体しかない。快慶の円熟期を代表する作品である。木造聖観音立像

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