木造単車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 13:40 UTC 版)
デ30形 (30 - 49)・デ60形 (60 - 69)・デ80形 (80 - 99) 金沢電気軌道市内線開業時からの木造単車であり、1919年(大正8年)1月に20両(旧番号:1 - 20)、1920年(大正9年)3月に10両(旧番号:21 - 30)、1921年(大正10年)4月20両(旧番号:31 - 50)の順でいずれも汽車製造にて製造された。製造年による違いはほとんどなく、長さ8.876メートル・幅2.235メートル、側面ドアのないオープンデッキ(後からドアが取り付けられた車両もある)およびダブルルーフ(二重屋根)構造の車体にブリル21E形台車を履くという形態であった。定員は40人。車体の色は当初は赤色だったが早い時期に緑色一色に改められた。1927年(昭和2年)、製造順ごとにデ30形30 - 49・デ60形60 - 69・デ80形80 - 99へと改番された。 1932年(昭和7年)にデ60形4両・デ80形6両、1942年(昭和17年)にデ30形5両が半鋼製のモハ300形へ改造される。次いで1944年(昭和19年)にデ80形3両が呉市電へ譲渡され呉市電80形となった。 戦後1949年(昭和24年)に記号を「デ」から「モハ」に改める。同年7月の車庫火災では7両が焼失。その後もモハ60形や半鋼製単車モハ310形への改造が生じて番号が不揃いとなったため、残存車は1953年(昭和28年)にモハ50形 (51 - 59) に整理されたが、1963年時点では別の車体に載せ替えた事業用車59号が残るのみであった。1964年(昭和39年)廃形式。 上記モハ60形 (60・61) はデ87・デ94の2両を木造車体のまま改造したもので、ドアを折り戸から引き戸に直し、車体幅を広げて定員を46人としたもの。1963年時点では60は休車、61は事業用車扱いであった。 デ400形 (401 - 406) 北陸鉄道発足後に名古屋市電から転入した3形式のうちの一つ。6両あり、デ400形401 - 406とされて1947年(昭和22年)にまず401 - 403の3両が松金線用、404 - 406が金石線用として認可を受けた。1949年になって市内線へ転入。車庫火災で401・403の2両が焼失し、残った4両が1949年の一斉改番でモハ170形 (171 - 174) となった。1951年(昭和26年)全車廃車。 名古屋市電ではLSC形343 - 348(1923年製)とされた車両。1941年度に連接車2600形への改造名義で廃車された単車15両 (338 - 352) に含まれるが、名古屋側の資料によると廃車の6両を整備して売却したという。他の名古屋市電からの転入車と同様、金沢でも上部クリーム色・下部濃緑色の塗装で運転された。 デ500形 (501・502) デ400形と同じく名古屋市電から1947年に転入した車両。名古屋市電の1号が501、2号が502として転入するが、1949年の車庫火災で501は廃車となる。一斉改番で502はモハ160形 (161) となった。同車も1951年に廃車されている。 名古屋側の資料によると桑名電軌から名古屋市電に転入した車両 (1・2) を整備の上売却したとされる。 デ600形 (601・602) 元は京都市電の狭軌1形電車(いわゆる「N電」)。名古屋市電経由で1947年に2両が転入、旧番号N81が601、旧番号N106が602となり、一斉改番でさらにモハ150形 (151 - 152) となった。1951年2両とも廃車された。
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