木造弥勒仏及両脇侍像とは? わかりやすく解説

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木造弥勒仏及両脇侍像(本堂安置)

主名称: 木造弥勒仏及両脇侍像(本堂安置
指定番号 3475
枝番 00
指定年月日 1998.06.30(平成10.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 中尊像内に、長保元年十月行事但馬介源正胤、僧安鎮僧聖静等の銘がある、
員数 1躯
時代区分 平安
年代 999
検索年代
解説文:  書写山円教寺開基性空が、晩年隠遁の地として開いた弥勒寺本堂重文)の本尊として祀られる弥勒三尊像である。三尊ともヒノキの一材から頭体幹部を彫成する一木彫成像で、中尊左袖口、右上膊までを含む一材製で、両足部は横木一材からなり体部には背刳を施す。脇侍は、左脇侍左手先、右前半ば天衣まで、右脇侍左上膊、右手先、天衣までを含んだ一材から彫出されている(内刳なし)。
 三尊とも、目尻の上がった半月状の目を刻む相貌がみられ、三尊一具の作とみて誤りない。その製作については、中尊像背刳の内面および背板裏面記され銘文により、長保元年九九九)に但馬介源正胤を行事として造像されたと考えられる
 本三尊像については、その独特の面貌はじめとしてその作風が、平成七年度に重文指定され寛弘二年(一〇〇五)ころの作とみられる円教寺常行堂阿弥陀如来像(旧往生院安置)にきわめて類似していることが指摘されている。中尊像の銘文には、史料から円教寺像の造像関与したことが知られる安鎮の名前が記されるほか、僧聖静、僧睿慶、清原是延など円教寺像の銘文中に共通する人物登場し性空門徒で師の没後円教寺第一代の行事となり、寺務職執行した僧延照も名を連ねていることなども注目され、この両像にはきわめて密接な関連性認められ同系統の仏師の手になる可能性が高い。
 現在、本三尊像は、表面後世劣悪な泥地彩色覆われ中尊像の面部には玉眼嵌入されている。しかし、彩色剥落した箇所からは、当初漆箔健全な彫刻面が各所確認され当初像容がかなり保たれているとみられるいわゆる和様彫刻完成前段階といわれるこの時期年記有する在銘彫刻としてきわめて貴重であり、また遺例乏し弥勒三尊像の古例としても推賞される。

木造弥勒仏及両脇侍像

主名称: 木造弥勒仏及両脇侍像
指定番号 2124
枝番 00
指定年月日 1906.04.14(明治39.04.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 3躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品
重要文化財のほかの用語一覧
彫刻:  木造弘法大師坐像  木造弘法大師坐像  木造弥勒仏及両脇侍像  木造弥勒仏及両脇侍像  木造弥勒仏坐像  木造弥勒仏坐像  木造弥勒仏立像



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