像容とは? わかりやすく解説

像容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 01:16 UTC 版)

大日如来」の記事における「像容」の解説

像形は、宝冠をはじめ瓔珞などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インド王族の姿を模したのである一般に如来装身具一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来宇宙そのもの存在装身具如く身にまとった者として、特に王者の姿で表される。ただしチベット仏教では、宝飾品を身に纏わずに通常の如来の姿で表現されたり、あるいは多面仏として描かれることもある。印相は、金剛界大日如来智拳印を、胎蔵界大日如来法界定印を結ぶ。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 06:53 UTC 版)

韋駄天」の記事における「像容」の解説

一般的には道教の韋将軍信仰と習合した影響で、唐風甲冑まとって剣を持つ若い武将の姿で描かれることが多い。元来スカンダ由来するため、六面十二臂の少年神で孔雀乗る。六面の由来は、大自在天シヴァ)の次男だが六人乳母育てられたためといわれる

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 04:35 UTC 版)

馬頭観音」の記事における「像容」の解説

経典によっては馬頭人身の像容等も説かれ胎蔵界曼荼羅にも描かれるが、日本での仏像造形例はほとんどない立像が多いが、坐像散見される頭上馬頭戴き胸前では馬の口を模した根本馬口印」という印相を示す。剣や斧、棒などを持ちまた、蓮華のつぼみを持つ例もある。剣は八本の腕のある像に多い。 石川県豊財院木造立像や、福井県馬居寺(まごじ)の木造坐像平安時代後半にまで遡る作例である。また、福岡観世音寺木造立像は高さ5メートルに及ぶ大作で、日本馬頭観音像の代表例と言える京都浄瑠璃寺木造立像は、鎌倉時代南都仏師の手になる作例である。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:58 UTC 版)

四天王」の記事における「像容」の解説

インドでは貴人の姿で表現されたが、日本では甲冑着け武器持ち邪鬼踏みつける姿をとる。像は須弥壇四隅それぞれ配置される四天王像としては、東大寺戒壇院のものが有名である。

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弁才天」の記事における「像容」の解説

原語の「サラスヴァティー」は、インドで最も古い聖典『リグ・ヴェーダ』現れる聖なる河とその化身の名である。水の女神であるが、次第芸術・学問などの知を司る女神見做されるようになったヒンドゥー教創造の神ブラフマーの妻である(元々はヴィシュヌの妻であったという説もある)。 他方弁才天は、音楽神、福徳神、学芸神の性格加え戦勝神の性格も持つものがあり、像容は、2臂像と8臂像の2つ大別される。 2臂像は琵琶抱えバチ持って奏する音楽神の形をとっている。密教用い両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見え、『大日経』では、妙音天美音天と呼ばれる。元のサラスヴァティーにより近い姿である。ただし、胎蔵曼荼羅中に見える2臂像は、後世日本広く信仰され天女ではなく菩薩形の像である。 8臂像は、5世紀中国五胡十六国時代に中インドから新疆赴いた曇無讖が、仏教経典スヴァルナ・プラバーサ・スートラを漢訳した『金光明最勝王経』「大弁天女品(ほん)」の所説よるものである。8本の手には、弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長鉄輪羂索けんさく投げ縄)を持つと説かれるが、その全て武器類するのである。同経典では弁才知恵の神としての性格多く説かれているが、その像容は鎮護国家戦神としての姿が強調されている。

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ヴィルーパ」の記事における「像容」の解説

絵画・彫刻において、ヴィルーパ様々な姿勢説法印など)、肌の色表現されるまた、チベット仏教においてヴィルーパは、サキャ派とどまらず他の宗派でも崇敬されるため、彼を扱った芸術チベット全域見られる

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牛頭天王」の記事における「像容」の解説

簠簋内伝』では黄牛の面を頭につけ、斧と羂索持った忿怒相としている。 一面四臂で人びと手づかみいたぶったり、踏みつけたりしている図もあるが、単に左手宝珠をいただくだけの簡素な立像もあって、多種多様である。 石像は必ずしも多くないが、地域によっては馬頭観音との対比から牛の神として信仰されているところもある。 作像例 松尾神社京都府木津川市) - 四面二臂の半跏象。牛頭頂いた忿怒相で甲冑姿をしている。 中仙寺(大阪府堺市) - 元は八坂神社保有だったが神仏分離にともない移動された。三面四臂の忿怒相で牛頭頂いた木造座像興禅寺愛知県津島市) - 三面十二臀で牛頭を頂く木造倚像

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不空羂索観音」の記事における「像容」の解説

経典には様々な姿が説かれるが、いずれも多臂(多くの腕)を持ちシカ毛皮身に纏うのが特徴である。この「野獣毛皮纏う」という点でヒンドゥー教最高神1柱シヴァ、特にその山岳としての面と関係があるという説もある。また、シカとの関係から春日大社第一の神であるタケミカヅチ本地仏とされる。 この観音像作例インド多く見出される中国には乏しく日本でもいくつかの有名な像があるとは言え作例はあまり多くはない。よく知られているものの一つは、インドネシアジャワ王朝シンガサリ朝のヴィシュヌワルダナ王の像がこの姿の仏像として刻まれている。

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十一面観音」の記事における「像容」の解説

インドにおける作例顕著なものは無い。雑密時代である初期唐代以降中国盛んに信仰され日本でも数多く造像された。 通例頭上正面側に柔和相(3面)、左側向かって右)に憤怒相(3面)、右側向かって左)に白牙上出相(3面)、背面大笑相(1面)、頭頂仏相を表す。 日本では奈良時代から十一面観音造像信仰盛んに行われ法隆寺金堂壁画1949年火災焼損)中の十一面観音像最古作例見なされる奈良時代作例としては他に奈良聖林寺像(国宝大神神社の元神宮寺大御寺伝来)京都観音寺像(国宝)、奈良・薬師寺像(重文)などがある。東大寺二月堂本尊十一面観音であるが、古来厳重な秘仏であるため、その像容は明らかでない。同寺の年中行事である「お水取り」は、十一面観音罪障懺悔をする行事十一悔過法要)である。 十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切苦しみ抜き去る功徳を施す菩薩であるとされる多く十一面観音像頭部正面阿弥陀如来化仏(けぶつ)を頂き頭上には仏面(究極的理想としての悟り表情)、菩薩面(穏やかな佇まい善良な衆生に楽を施す、慈悲表情慈悲面とも)、瞋怒面(しんぬめん。眉を吊り上げ口を「へ」の字に結び、邪悪な衆生戒めて仏道へと向かわせる憤怒表情忿怒面(ふんぬめん)とも)、狗牙上出面(くげじょうしゅつめん。結んだ唇の間から牙を現し行いの浄らかな衆生励まして仏道勧める讃嘆表情。牙上出面あるいは白牙上出面とも)、大笑面(だいしょうめん。悪への怒り極まるあまり、悪にまみれた衆生悪行大口開けて笑い滅する笑顔暴悪大笑面とも)など、各々複雑な表情乗せ右手垂下し左手には蓮華生けた花瓶持っている姿であることが多い。この像容は玄奘訳の「十一面神咒心経」に基づくものである。 「十一面神咒心経によれば右手垂下し数珠持ち左手には紅蓮挿した花瓶を持つこととされている。ただし、彫像場合右手数珠省略ないし亡失したものが多い。一方真言宗豊山派総本山長谷寺本尊の十一面観音像は、左手には通常通り蓮華生けた花瓶持っているが、右手には大錫杖持ち岩の上立っているのが最大特徴で、豊山派多く寺院安置され十一面観音像はこの像容となっているため、通常の十一面観音像区別して長谷寺十一面観音」と呼ばれる空海によって伝えられた正純密教真言宗)では、不空訳経に基づく四臂像も造像されたが、日本における作例は二臂像が圧倒的に多い。 聖林寺像(奈良時代国宝法華寺像(平安時代国宝向源寺渡岸寺)像(平安時代国宝室生寺像(平安時代国宝新薬師寺像(奈良国立博物館寄託)(平安時代重要文化財十一面観音像時代 サックラー・ギャラリー

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千手観音」の記事における「像容」の解説

坐像立像ともにあり、実際に千本前後の手表現した仏像いくつか現存する奈良市唐招提寺金堂像(立像)、大阪府藤井寺市葛井寺本尊像坐像)、京都府京田辺市寿宝寺本尊像立像)などが知られている。像高5m超える唐招提寺像は大手42本で、大手隙間911本の小手があり、全部953現存する葛井寺像は、大手40本(宝鉢手をつくらない)、小手は1,001本で合計1041本ある。小手正面から見ると像本体から直接生えているように見えるが、実は、像背後立てた2本の支柱びっしり小手取り付けられている。葛井寺像の大手小手の掌には、絵具で「眼」が描かれていたことがわずかに残る痕跡から判明し文字通り千手千眼」を表したものであった一般的な千手観音像は十一四十二臂が多い。和歌山県道成寺本尊像国宝)と補陀洛山寺本尊像重文)は四十四臂を持つ。敦煌発見され大英博物館所蔵千手観音画とギメ博物館所蔵千手観音立像四十四臂を持つ。四十二臂の意味については、胸前合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25世界を救うものであり、「25×40=1,000」であると説明されている。ここで言う25世界」とは、仏教で言う「三界二十五有(う)」のことで、天上界から地獄まで25世界があるという考えである(欲界十四有、色界に七有、無色界四有があるとされる)。俗に言う有頂天」とは本来、二十五の有の頂点にある天上界のことを指す。 京都三十三間堂本尊坐像)は、鎌倉時代仏師湛慶代表作であるとともに十一四十二臂像の典型作である。42本の手の内2本は胸前合掌し、他の2本は腹前で組み合わせて宝鉢(ほうはつ)を持つ(これを宝鉢手という)。他の38本の脇手にはそれぞれ法輪錫杖しゃくじょう)、水瓶すいびょう)など様々な持物(じもつ)を持つ。38手に何を持つかについては経典述べられているが(後出)、彫像場合長年の間に持物紛失したり、後世補作替わったりしている場合が多い。 ベトナムブッタップ寺 上海龍華寺 京都法性寺 京都三十三間堂(1,001体のうち) 中国安徽省九華山 中国湖南省潙山

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地蔵菩薩」の記事における「像容」の解説

一般に剃髪した声聞比丘形(僧侶の姿)で白毫があり、袈裟身にまとう装身具は身に着けないか、着けていても瓔珞ネックレス程度左手如意宝珠右手錫杖を持つ形、または左手如意宝珠持ち右手与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)の印相をとる像が多い(この場合伝統的に彫像であることが多く画像はまれである)。 しかし密教では胎蔵曼荼羅地蔵院の主尊として、髪を高く結い上げ装身具を身に着け通常の菩薩形に表され右手は右胸の前で日輪持ち左手は左腰に当てて幢幡乗せた蓮華を持つ。

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百済観音」の記事における「像容」の解説

平面五角形の反花座(かえりばなざ。ハスの花を伏せたような形の台座)に直立する通常の仏像比べて著しく痩身頭部小さく8頭身に近い。右腕は肘でほぼ直角に曲げ前膊(下腕)を観者の方へ向けて水平に突き出し、掌を上へ向ける(持物はない)。左手垂下し、肘を前方軽く曲げて手の甲観者の方へ向け、水瓶すいびょう)を持つ。 上半身には僧祇支下半身には裳(巻きスカート状の衣服)を着け天衣(てんね。仏像天人像が身につけている薄く細長い布のこと)をまとう。天衣大腿部正面でX字状に交差し両腕にかかり、両体側垂下している。 頭髪は髻(もとどり)を結い両肩長く垂れ下がっている。宝冠首飾、臂釧(ひせん)、腕釧(わんせん)などの装身具付け、これらは銅製透かし彫り別製とする。光背宝珠形の頭光(ずこう)で、中央部八葉蓮華表し、その周囲には同心円状文様帯があり、その外側周縁部には火焔文様を表す。光背支柱は竹を模した木製で、光背基部には山岳形の装飾がある。台座前述五角形の反花座の下に2段(かまち)がある。

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薬師如来」の記事における「像容」の解説

像容は、立像坐像ともにあり、印相右手施無畏(せむい)印、左手与願印とし、左手薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降薬壷を持つ像が造られるようになった考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来光背には、七体または六体もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身とされる薬師如来縁日毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来する考えられている。 国分寺のほとんどは現在は薬師如来本尊としている。 薬師三尊像薬師寺薬師座像 行基・作(新薬師寺薬師如来(『図像抄』) 薬師如来今山福岡市西区今宿

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摩利支天」の記事における「像容」の解説

元来二臂の女神像であるが、男神像としても造られるようになった三面六臂または三面八臂で月と乗る姿などもある。 摩利支天 女神ギメ東洋美術館乗る摩利支天 男像 (法雲寺中国18世紀ブルックリン美術館摩利支天茅野市金沢権現

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 08:49 UTC 版)

妙見菩薩」の記事における「像容」の解説

妙見信仰には星宿信仰道教密教陰陽道などの要素混交しており、像容も一定していない。忿怒形や童子形、他に甲冑着け武将形で玄武(亀と合体した想像上の動物北方守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。 日本重要文化財指定されている妙見菩薩彫像は、読売新聞社所有よみうりランド聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年1301年)の銘があり、もと伊勢神宮外宮妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑着け右手に剣を持ち頭髪美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し所伝通り妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。 二臂の妙見菩薩 四臂の妙見菩薩 能勢妙見菩薩 亀に乗る妙見菩薩(『仏像図彙』より) 童子妙見菩薩

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:30 UTC 版)

青面金剛」の記事における「像容」の解説

陀羅尼集経・第九』によると、 一身四手左辺の上手は三叉を把る。下手は棒を把る。右辺の上手は掌に一輪を拈し、下手は羂索を把る。其の身は青色、面に大いに口を張り狗牙上出し、眼は赤きこと血の如く、面に三眼あり、頂に髑髏戴き頭髪は竪に聳え火焔の色の如し。頂に大蛇纏い、両膊に各、倒に懸ける一龍有り竜頭は相向う其の像、腰に二大赤蛇纏う両脚腕上に亦大赤蛇纏い、把る所の棒状も亦大蛇纏う虎皮を胯に縵す。髑髏瓔珞、像の両脚下に各、一鬼を安ず。 其の像の左右両辺に各、当に一青衣の童子作るべし。髪髻両角、手に香炉執り其の像の右辺に、二薬叉作る。一は赤、一は黄、刀を執り索を執る其の像の左辺に二薬叉作る。一は白、一は黒。銷を執り、叉を執る形像並びに甚だ怖畏すべし、云々 とある。要約すると 三眼の憤怒相で四臂、それぞれの手に、三叉戟三又になったのような法具)、棒、法輪羂索(綱)を持ち足下二匹邪鬼踏まえ両脇二童子四鬼神を伴う 姿で現されるが、一般には、足元に邪鬼踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で法輪弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多い。頭髪の間でがとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もある。また、どくろを首や胸に掛けた像も見られる彩色される時は、その名の通り青い肌に塗られる。この青は、釈迦前世関係しているとされる。 以上のような姿は、密教明王像、特に軍荼利明王通ずるものがある。 日本では各地石造庚申塔多数遺り、そこには「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿と共に青面金剛像が表されている例が多い。木造古例としては、奈良東大寺木造青面金剛立像重要文化財)が著名である。 江戸時代掛軸画。青面金剛中央に、日月、二従えている。 こちらは日月二童子四夜叉、二、それに「見ざる、言わざる、聞かざる」のいわゆる三猿配置江戸時代掛軸画。上から:日月青面金剛二童子、二青面金剛に従う四夜叉、と 青面金剛かたどる庚申塔千葉県習志野市青面金剛供養塔 青面金剛祀る庚申堂の例。岡山県木山寺青面金剛祀る庚申塔 新堀庚申塔(埼玉県川口市新郷地区) 峯辰井川庚申塔(埼玉県川口市地区) 東本郷庚申塔(埼玉県川口市東本郷地区) 遊馬庚申塔(埼玉県草加市遊馬町) 正源寺庚申塔(埼玉県川口市新郷地区) 庚申塔(埼玉県草加市苗塚町) 庚申堂庚申塔庚申塔(埼玉県草加市苗塚町 庚申塔(岐阜県加茂郡八百津町)

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不動明王」の記事における「像容」の解説

密教明王像は多面多臂(複数の顔、腕も複対)の怪異な姿のものが多いが、不動明王一面二臂で降魔三鈷剣(魔を退散させる同時に人々煩悩因縁断ち切る片側中央の刃だけが一際長い三鈷杵)と羂索けんさく/けんじゃく。悪を縛り上げ、また人々縛り吊り上げてでも煩悩から救い出すための投げ縄のようなもの。一方の端には環、他方の端には独鈷杵半分が付く)を持つのを基本としている(密教図像集などには多臂の不動明王像説かれ後述のように日蓮は四臂の不動明王感得しているが、立体像として造形されることはまれである)。剣は竜(倶利伽羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれている。 また、その身体基本的に醜い青黒い色で表現される像容が多い。頂は七髷か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的とされる不動明王多く明王中でも中心的な存在である。以下に典型的な像の形を示す。 東寺講堂像(坐像) - 空海弘法大師)の創意に基づくという意味で「弘法大師様(よう)」と呼ばれる像容。両目見開き上唇下唇噛み、両牙を下方に出すのが特徴後世多く作られた、天地眼(片目半眼にする)・牙上下出(牙を片方は上、もう片方は下に出す)の不動明王とは図像的に異なっている。 浪切不動立像) - 高野山南院に伝わる、空海が唐から将来したと伝える像である。頭部右下方に向け、右目を見開き、左目をすがめ、両牙を下に出す。空海が唐からの帰途荒波襲われた際にこの不動祈ったところ波が去ったという伝説がある。 黄不動立像) - 園城寺に伝わる画像で、円珍感得像と伝える。両目見開き上唇下唇噛み、両牙を上方に出す。上半身裸形体躯筋骨隆々として肥満し虚空踏んで立つ。 インド起こり中国経て日本伝わった不動明王であるが、インド中国には、その造像遺例非常に少ない日本では密教流行従い盛んに造像が行われた。 また、日蓮宗系各派本尊いわゆる十界曼荼羅)にも不動明王書かれている為、日蓮宗でも不動明王奉安する寺院存在する愛染明王と同様、空海によって伝えられ密教尊格であることから、日蓮以来代々種子書かれている。なお日蓮曼荼羅における不動明王生死即涅槃表し、これに対し愛染明王煩悩即菩提表しているとされる

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愛宕権現」の記事における「像容」の解説

本地仏である勝軍地蔵将軍地蔵)の姿で描かれ甲冑姿の地蔵菩薩が馬に乗る

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 07:18 UTC 版)

烏枢沙摩明王」の記事における「像容」の解説

烏枢沙摩明王彫像絵巻などに残る姿が一面六臂であった三面八臂であるなど、他の明王比べて表現ばらつきがあるが、主に右足大きく上げて片足立った姿であることが多い(または蓮華の台に半跏趺坐で座る姿も有名)。髪は火炎勢いによって大きく逆立ち憤怒相で全ての不浄焼き尽くす功徳表している。また複数ある手には輪宝弓矢などをそれぞれ把持した姿で表現されることが多い。 五大明王の中の一尊としての造像遺例には、奈良宝山寺木像見られる江戸時代元禄14年1701年)に、湛海により造像されたものである

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