薬師三尊像とは? わかりやすく解説

薬師三尊像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:38 UTC 版)

薬師寺」の記事における「薬師三尊像」の解説

金堂安置される薬師寺本尊国宝飛鳥時代後期白鳳期) - 奈良時代7 - 8世紀)の作。国宝指定名称は「銅造薬師如来及両脇侍像 3躯」。中尊薬師如来、左脇侍向かって右)に日光菩薩にっこうぼさつ)、右脇侍月光菩薩がっこうぼさつ)を配している。像高薬師如来254.7センチメートル日光菩薩317.3センチメートル月光菩薩315.3センチメートル日本仏像彫刻が、中国六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式完成した7 - 8世紀作品なかでも最高傑作1つとして古来名高いのである中尊は「東塔檫銘」に「巍巍蕩蕩(ぎぎとうとう)たり薬師如来大い誓願発し広く慈哀を運(めぐら)す」とある薬師如来である。「巍巍」とは高い峰のように大きく堂々としている様子、「蕩蕩」は大河のように広くゆったりとした様子で、この表現のとおり、中尊像は男性的な堂々たる像容を表す。両脇侍像は首と腰を軽くひねり、頭部上半身下半身それぞれ異なった角度を表す「三曲法」と呼ばれるポーズを示す。これはインド・グプタ朝の彫刻様式影響が、唐時代中国経て日本伝わったのである。 各像の面貌体躯は、飛鳥時代前期彫刻のような観念的表現離れ人体正確な把握基づいた自然な肉付けみられる一方衣文深く明瞭に表され鋭角切り立った面を構成している。総じて中国初唐様式影響みられる中尊の掌には輪宝線刻し、足裏には輪宝のほか、指に卍花を刻むなど、吉祥文が表されている。これらは仏の三十二相に基づく表現である。中尊像の台座宣字座の上に裳を広げた裳懸座である。この宣字座にはギリシャペルシャインド中国など淵源をもつ葡萄(ぶどう)唐草文異国風の人物像、四神青龍、白虎、朱雀、玄武)などの意匠あしらわれており、奈良シルクロード終着地点といわれる所以となっている。 制作年代については、「歴史」の項で述べたように持統天皇2年688年無遮大会実施までには完成してたとする説、『日本書紀』持統天皇11年697年)、薬師寺にて公卿百寮が仏像造り開眼法会行った旨の記録があることから、この時に制作されたとする説、平城京移転後新造とする説があり、決着みていない。685年頃の制作である旧山田寺仏頭(現・興福寺)と比較すると、薬師寺像は鋳造技法の点で進歩みられる。すなわち、山田寺像では鋳造の際に中型と外型のずれを防止するための「型持」と「笄」(釘)がずれてしまっているが、薬師寺像では「型持」と「笄」を一体化してずれを防止しており、厚も一定である。こうした鋳造技法進歩制作年代下降と見る説がある一方で天皇発願の寺である薬師寺と、私寺である山田寺同一視はできず、技法違いは即年代違いではないとする説もある。

※この「薬師三尊像」の解説は、「薬師寺」の解説の一部です。
「薬師三尊像」を含む「薬師寺」の記事については、「薬師寺」の概要を参照ください。

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