寛永寺の木造薬師三尊像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:55 UTC 版)
元禄11年(1698年)の江戸幕府の命により、当寺根本中堂本尊薬師如来坐像の両脇侍であった日光・月光(がっこう)菩薩像および薬師如来を守護していた十二神将像は江戸の寛永寺(現・東京都台東区)に移された。日光・月光菩薩像は寛永寺に現存し、同寺本尊の薬師如来像の両脇侍となっている(薬師如来像、日光・月光菩薩像ともに重要文化財)。いっぽう、立石寺から寛永寺に移された十二神将像は上野戦争で焼失した。
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