日本における作例とは? わかりやすく解説

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日本における作例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 09:18 UTC 版)

十二天」の記事における「日本における作例」の解説

日本では平安初期9世紀から作例がある。 十二天は、方角護る「護方神」としての性格が強い。遺品彫像よりも圧倒的に画像多く仏教重要な修法儀式行われる道場守護神として、掛軸あるいは屏風描かれたものが用いられた。 京都国立博物館東寺旧蔵)の十二天画像平安後期大治2年, 1127年国宝)は、十二天それぞれ掛軸描いたもので、王朝風の繊細優雅な仏画代表作である。これは後七日御修法ごしちにちのみしほ宮中真言院正月天皇の健康を祈って行われた修法)に用いられたものである奈良西大寺十二天画像平安初期国宝)は、9世紀描かれ日本最古十二天像で、京都国立博物館本の各尊が敷物の上座す形で表されているのに対し西大寺本の各尊は、それぞれ水牛、亀などの鳥獣座に乗っている。 十二天各尊を立像として六曲屏風一双表した遺品数多く残っており、これらは密教重要な儀式である伝法灌頂道場などを守護する目的使用された。十二天屏風としては、東寺鎌倉時代のものがよく知られるまた、十二天曼荼羅構成する諸仏一員としても登場する両界曼荼羅のうち、胎蔵曼荼羅の最外院(外金剛部院)の諸尊中には十二天像が見られるまた、四臂不動明王像周囲十二天配した十二天曼荼羅国家安穏祈念する安鎮法において使用される彫像十二天像として稀有遺例である愛知県蒲郡市無量寺木像は、立体曼荼羅一部として造像されたものと見られる。 このほか、京都国立博物館には東寺旧蔵十二天面(平安後期重要文化財)がある。平安時代伝法灌頂儀式の際には「十二天行道」として十二天の面をかぶり、装束着け人間登場したが、中世以降十二天屏風にとって代わられた。

※この「日本における作例」の解説は、「十二天」の解説の一部です。
「日本における作例」を含む「十二天」の記事については、「十二天」の概要を参照ください。

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