木造金剛力士立像とは? わかりやすく解説

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木造金剛力士立像(所在南大門)

主名称: 木造金剛力士立像(所在南大門
指定番号 35
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書 阿形像の金剛杵建仁三年七月二十四日始之、大仏師法眼運慶アン梵字阿弥陀佛、同像内に八月七日金剛力士立之等の銘がある
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代 1203
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3033
枝番 00
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造金剛力士立像〈定慶作/〉

主名称: 木造金剛力士立像〈定慶作/〉
指定番号 3039
枝番 00
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 各の像内に仏師肥後法橋定、仁治三年四月木造畢の銘がある
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代 1242
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3042
枝番 00
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3105
枝番 00
指定年月日 1960.06.09(昭和35.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造金剛力士立像(仁王門安置)

主名称: 木造金剛力士立像(仁王門安置
指定番号 3249
枝番 00
指定年月日 1969.06.20(昭和44.06.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に長寛元年六月廿八日沙弥生西、平貞能母尼、仏師僧良□(元)の銘がある
員数 2躯
時代区分 平安
年代 1163
検索年代
解説文:  やや小ぶり二王像である。像内に願主沙弥生西、平貞能母尼および仏師僧良元の名と共に長寛元年一一六三)の年記がある。太づくりで、大様な作風平安期力士像の特色示している。数少ないこの期力士像のうち、製作年次明らかな唯一の作例であり、平氏とゆかりの深いこの寺に残る由緒ある彫像としても貴重な作品である。

木造金剛力士立像(所在西大門)

主名称: 木造金剛力士立像(所在西大門
指定番号 3252
枝番 00
指定年月日 1970.05.25(昭和45.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代 1134
検索年代
解説文:  もと本寺南大門にあった仁王像で、長承三年一一三四)に大仏師勢増、仁僧によってつくられたことが醍醐雑事記などによってわかり、下って豊臣氏による再興事業の際に修理され慶長十年一六〇五)に現在の西大門移された。材、寄木造り大きめ頭部比べて体部はやや細身小柄にまとめられ肉身モデリングもさほど厚手でなく、しかもこまやかで、翻転する裳裾もその衣褶を流動的刻みながら動勢至って少なく忿怒形像【ふんぬぎようぞう】としては隠健な作風示している。数少ない平安後期仁王像中、造像年次のわかるものは本像と京都峰定寺像(一一六三、重文)の二例のみで、本像はこの期仁王像の一典型となる貴重な作例である。

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3350
枝番 00
指定年月日 1980.06.06(昭和55.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  量感溢れ太造りの金剛力士立像二躯で、自由な表現のうちに、いまだ型にはまらぬ力強さ感じられ制作十三世前半思われる。各、材の寄木造で、阿形【あぎよう】像は前半一材、後半左右二材、吽形【うんぎよう】像は正中線及び体側矧ぐ四材から、それぞれ頭体の根幹部を彫成し頸部を割離して内刳り施し玉眼【ぎよくがん】を嵌入する。現状表面に後補の紙貼り泥地彩色施されているが、保存は既して良好といえる

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3351
枝番 00
指定年月日 1980.06.06(昭和55.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  細身穏やかな体勢像容長承三年一一三四)作の京都醍醐寺だいごじ金剛力士像重文)に近いが、面貌一種ユーモラスな明る表情に古様をとどめ、肢体構成がゆったりとして大きく温雅な肉取りのうちによく自然のさまを捉えるなど、大らかな作風は、醍醐寺像をやや遡る十一世後半制作思わせる材の寄木造よせぎづくり】で、頭体の大略正中線と体側で矧ぐ四材から彫成し、深い内刳りを施す。

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3354
枝番 00
指定年月日 1980.06.06(昭和55.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  スマートで均整のとれた形姿仁治三年一二四二)肥後法橋定慶【ひごのほつきようじようけい】作の兵庫石龕寺せきがんじ】金剛力士像重文)に近似し、この巨体支脚含んで前後に矧合わせた二材から彫成する堅固合理的な寄せも全く同巧である。ただ、本像は、いささか整斉技巧にはしる傾向みられるころから制作時期石龕寺像をやや降るものと思われる現状近世粗悪な彩色覆われているが、保存状態良好である。

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3370
枝番 00
指定年月日 1982.06.05(昭和57.06.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  神角寺山門金剛力士像で、両像とも、頭部と躰幹部とを、それぞれ前後二材製として内刳りを施す。材は、阿形像がを混えており、吽形像はすべて材である。
 その作風は、動きを仰えた体勢整理の行届いた肉取りに平安時代後期作例通じるものがあり、他方高く盛り上がる肩から極端に厚い胸郭にかけて、硬い彫りくちを効果的に生かして力強い肉瘤刻み出すなど、地方的な特色をも顕著に示している。製作は十三世前半とみられ、九州地方における数少ない金剛力士像の優品として貴重である。

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 38
枝番 00
指定年月日 1952.03.29(昭和27.03.29)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書 吽形像の納入紙片及び足〓に正応元年修理銘がある
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代 修理銘 1288
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 3457
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  本寺山門安置される仁王像である。おおむね通形の像容であるが、頭頂部を剃って髻を結い上げるのが珍しく、また獅子鼻下顎張ったいかつい面構えや、隆々発達した上半身特色がある。
 ともにヒノキ材の寄木造で、頭体幹部を通して前後左右の四材から彫出する構造になる。阿・吽作風には小異があり、吽形像が上体傾けて思い切った動勢をみせるのに対して阿形像はやや構えおとなしく肉付け着衣のさばきにも、吽形像のほうにより変化力強さ認められる。その精彩富んだ造形には、十三世以降定型化した仁王像とは一線を画するものがあり、製作年代鎌倉初期十二世紀後半位置づけられよう。
 放光寺大檀越、安田義定甲斐源氏の有力武将で、平家討伐大きな功績をあげたが、建久五年(一一九四)、源頼朝への謀反疑いにより梟首となった当寺梵鐘貞治五年=一三六六銘)に建久二年(一一九一)に義定が施入した旨を記す旧鐘銘採録されており、これを造像下限とみることもできよう作者慶派仏師とみられる本寺近世縁起には仁王像作者について南京彫工浄朝」すなわち奈良仏師嫡流成朝であることが述べられているが、文治元年一一八五)、頼朝招き鎌倉下向勝長寿院造仏あたった成朝が本像の製作に携わることは、義定の東国における地位から考えて十分にありうることで、はなはだ興味深い

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 74
枝番 00
指定年月日 1916.08.17(大正5.08.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 316
枝番 00
指定年月日 1914.04.17(大正3.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代 1256
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 319
枝番 00
指定年月日 1925.04.24(大正14.04.24)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 1016
枝番 00
指定年月日 1925.08.25(大正14.08.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 1028
枝番 00
指定年月日 1942.12.22(昭和17.12.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 1032
枝番 00
指定年月日 1935.04.30(昭和10.04.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 足〓ニ弘安八年十月法眼慶秀法橋湛□ノ銘アリ
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代 1285
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造金剛力士立像

主名称: 木造金剛力士立像
指定番号 2012
枝番 00
指定年月日 1911.04.17(明治44.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数
時代区分 鎌倉
年代 1291
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品
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木造金剛力士立像(仁王像)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:54 UTC 版)

弥勒寺 (東海市)」の記事における「木造金剛力士立像(仁王像)。」の解説

阿形は高さ272.6cm、一部)材の寄木造吽形は高さ273.1cm、材の一木造平安時代末期12世紀頃)の作と考えられており、もともと運得寺(東海市荒尾町にあったものを応仁2年1468年)に移設したと伝えられる長年風雨さらされ傷み激しい。

※この「木造金剛力士立像(仁王像)。」の解説は、「弥勒寺 (東海市)」の解説の一部です。
「木造金剛力士立像(仁王像)。」を含む「弥勒寺 (東海市)」の記事については、「弥勒寺 (東海市)」の概要を参照ください。

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