安田義定
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安田 義定(やすだ よしさだ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。甲斐源氏の祖とされる源義光の孫源清光の子(清光の父義清の子とする説もある)。
- ^ 『甲斐国志』巻39、また、甲州市塩山竹森の玉緒神社旧蔵の応安2年(1369年)大般若波羅蜜多経奥書には八幡荘内の安田郷の存在を記しており、安田氏の本貫地が明らかになっている。『大般若経』奥書は『山梨県史』資料編、『山梨市史』資料編古代・中世に所載。
- ^ 『吾妻鏡』治承4年9月10日条
- ^ 『吾妻鏡』治承4年10月14日条
- ^ 『吾妻鏡』、『玉葉』、『源平盛衰記』
- ^ 『吾妻鏡』治承4年10月21日条
- ^ 甲斐源氏の位置づけについては安田元久『鎌倉幕府と源頼朝』などを参照。
- ^ 義貞の遠江支配を示す資料として滋賀県東近江市伊庭地区の柳瀬在地に伝わる大般若波羅蜜多経巻二百二十巻があり、奥書部分に願主として義定の名が記されており、奥書によれば文治4年に義定が願主、僧賢栄の筆で巖室寺地極谷で書写されたという。
- ^ 『吾妻鏡』建久4年11月28日条と同年12月5日条
- ^ 『吾妻鏡』同年8月19日条
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