安田耕之助とは? わかりやすく解説

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安田耕之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 01:41 UTC 版)

安田 耕之助
やすだ こうのすけ
生年月日 (1883-03-16) 1883年3月16日[1]
没年月日 (1944-12-28) 1944年12月28日(61歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学
前職 大阪税務監督局税務監督官
所属政党 立憲民政党
称号 従四位
勲四等
紺綬褒章受章[2]
配偶者 仲子(子爵・慈光寺恭仲長女)[3]

第8代京都市長
在任期間 1925年2月21日 - 1927年8月9日
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安田 耕之助(やすだ こうのすけ、1883年明治16年〉 - 1944年昭和19年〉)は第八代京都市長。大蔵省出身で衆議院議員京都市会議長などを歴任した。

経歴

安田平四郎とその妻・津留(井上嘉助三女、1860年生)の二男として京都に生まれる[3]1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、その翌年には文官高等試験行政科試験に合格。大蔵省に入り税務監督局に所属すると司税官、税関事務官、税務監督官、及び兼任で朝鮮総督府事務官等を務めた[2]

1925年(大正14年)京都市長に選出されたが、1927年(昭和2年)8月に病気を理由に辞任。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙では京都府第一区より出馬し当選(当選一回)。1942年(昭和17年)から1944年まで京都市会議長を務めた[4]

耕之助は1912年(大正元年)8月に家督を相続。子爵・慈光寺恭仲の長女で妻の仲子(1894年生)との間に長女・瑠璃子(1919年生)、長男・晃(1923年生)を得た[3]。妹の千代は呉服商の八木清八(1879年生)に嫁ぐ[5][注釈 1]。大正末期頃、八木は各地の大都市に建てられていた音楽堂が京都には無いことを憂い、義兄で当時京都市長を務めていた耕之助にその建設を勧めた。しかし京都市が赤字財政だった為、耕之助と柴田永三郎、そして八木清八の3人で工費3万円費用を寄付。1927年(昭和2年)に円山音楽堂が完成している[注釈 2]

脚注

注釈

  1. ^ 八木清八が東山区に建設中だった別邸が1915年(大正4年)11月の大正天皇即位御大典の際に首相・大隈重信の宿所とされた。広大な邸宅が翌年竣工。本館は既に無いが、木造二階建てで入母屋造桟瓦葺、数寄屋風建築の居住棟と蔵が令和の今も遺されている[6]。八木の長男・清一は貴族院子爵議員を務めた外山光庸の娘・道子を妻に迎え、道子の兄・外山英資は田中長一郎の二女・なほ子を妻とした。
  2. ^ 面積1600坪、収容人員3540人。資材は近くで祇園閣の建設を進めていた大倉喜八郎より格安で譲り受けたとされる[7]。設計は京都市役所と同じ中野進一。

出典

  1. ^ 衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、3頁。
  2. ^ a b 志村儀亥知 編『国会大鑑 衆議院篇』産業経済社、1954年11月、317頁。NDLJP:1701260/199 
  3. ^ a b c 『人事興信録』(7版)人事興信所、1925年、や132頁。NDLJP:1704004/930 
  4. ^ 歴代議長”. 京都市会 (2021年5月20日). 2021年8月23日閲覧。
  5. ^ 『人事興信録』(7版)人事興信所、1925年、や6頁。NDLJP:1704004/867 
  6. ^ 京都を彩る庭園や建物”. 京都市文化市民局. 2025年2月7日閲覧。
  7. ^ 京都新聞社編集局 編『東山三十六峰:京都案内記』河出書房、1957年、144頁。NDLJP:2989648/78 

参考文献

  • 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 



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