清和源氏武田氏族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 21:13 UTC 版)
石見国の名族に野上氏あり。同氏は本姓 源氏。家系は清和天皇第六皇子 貞純親王の王子 経基王を祖とする清和源氏で、その二代源満仲の四男 頼信を祖とする河内源氏の二代 頼義の三男 新羅三郎義光の三男 武田冠者義清の四男 安田義定の流れを汲む武田氏の傍流にあたる。即ち義定の子 安田義資、父ともども梶原景時の讒言により罪を得て斬られるも族滅免れ、遺児の逸見右馬允義広(母は三浦義具の女)、同族 諏訪氏の下に身を寄せ、野上庄司正任の女を妻とする。子 野上太郎左衛門尉義正は石見国に下り、御神本氏に身を寄せる。その後、梶原景時父子が政争にて鎌倉を追われ、討たれると、同国の益田兼栄を頼り、北条義時に愁訴に及び同国木東郷に地田130町を賜るという。
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