大宝蔵院
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百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)に完成した。 観音菩薩立像(百済観音、国宝) - 飛鳥時代、木造。元は金堂内陣の裏側に安置されていた。細身で九頭身の特異な像容を示す。和辻哲郎の『古寺巡礼』をはじめ、多くの文芸作品の中で絶賛されてきた著名な像であるが、その伝来や造像の経緯などはほとんど不明である。「百済観音」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。詳しい解説は別項「百済観音」を参照。 観音菩薩立像(九面観音、国宝) - 唐から将来の像。香木を用い、彩色を施さず白木で仕上げた、いわゆる檀像と呼ばれる像である。細かい装身具、体部から遊離している耳飾や天衣まで完全に一木で彫り上げた技巧的な像である。 観音菩薩立像(夢違観音、国宝) - 飛鳥時代後期(白鳳期)、銅造。元は東院絵殿の本尊。悪夢を良夢に替えてくれるという伝説からこの名がある。 地蔵菩薩立像(国宝) - 平安時代、木造。奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)にあったが、明治の神仏分離で法隆寺へ移された。大宝蔵院ができるまでは金堂内陣の裏側に安置されていた。 六観音像(重要文化財) - 飛鳥時代後期(白鳳期)、木造。六観音像と通称され、重要文化財の指定名称は「観音・勢至菩薩」「日光・月光菩薩」「文殊・普賢菩薩」となっているが、本来の名称は明らかでない。少しずつ様式の異なる3対の像から成る。東京の根津美術館には、この六観音像と酷似した菩薩像があり、元は8体あったものともいわれる。 梵天・帝釈天立像、四天王立像(重要文化財) - いずれも奈良時代の塑像で、元は食堂(じきどう)本尊の薬師如来像を囲んで安置されていたものである。 玉虫厨子(国宝) - 飛鳥時代。元は金堂に安置されていた仏堂形の厨子である。建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸の遺品として重要である。透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名がある。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのは難しい。厨子の扉や壁面の装飾画も著名で、釈迦の前世物語である『捨身飼虎図』(しゃしんしこず)、また『施身聞偈図』(せしんもんげず)は特によく知られる。5年の歳月と1億円以上費用をかけて作成された復刻版が寄贈されている。 阿弥陀三尊像及び厨子(橘夫人厨子、国宝) - 飛鳥時代後期(白鳳期)。やはり金堂に安置されていたもの。厨子内の阿弥陀三尊像は飛鳥時代後期(白鳳期)の金銅仏の代表作で、蓮池から生じた3つの蓮華の上に三尊像が表されている。 金堂小壁画(重要文化財) - 1949年(昭和24年)の金堂の火災の際、取り外されていたため難を免れた小壁の天人の壁画20面である。20面のうち一部が展示されている。 また、仏画、仏具、舞楽面、経典なども随時展示替えをしつつ公開されている。保存上の理由から常時公開されていない寺宝として四騎獅子狩文錦(唐時代、国宝)、黒漆螺鈿卓(平安時代、国宝)などがある。
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