大宝蔵院とは? わかりやすく解説

大宝蔵院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 02:16 UTC 版)

法隆寺」の記事における「大宝蔵院」の解説

百済観音像はじめとする寺宝公開している。百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物1998年平成10年)に完成した観音菩薩立像百済観音国宝) - 飛鳥時代木造。元は金堂内陣の裏側に安置されていた。細身九頭身の特異な像容を示す。和辻哲郎の『古寺巡礼』をはじめ、多く文芸作品の中で絶賛されてきた著名な像であるが、その伝来や造像経緯などはほとんど不明である。「百済観音」の通称近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。詳しい解説別項百済観音」を参照観音菩薩立像九面観音国宝) - 唐から将来の像。香木用い彩色を施さず白木仕上げたいわゆる檀像呼ばれる像である。細かい装身具体部から遊離している耳飾天衣まで完全に一木彫り上げ技巧的な像である。 観音菩薩立像夢違観音国宝) - 飛鳥時代後期白鳳期)、造。元は東院絵殿の本尊悪夢を良夢に替えてくれるという伝説からこの名がある地蔵菩薩立像国宝) - 平安時代木造奈良県桜井市大神神社おおみわじんじゃ)の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)にあったが、明治神仏分離法隆寺移された。大宝蔵院ができるまでは金堂内陣の裏側に安置されていた。 六観音像(重要文化財) - 飛鳥時代後期白鳳期)、木造六観音像と通称され、重要文化財指定名称は「観音勢至菩薩」「日光・月光菩薩」「文殊普賢菩薩となっているが、本来の名称は明らかでない少しずつ様式異なる3対の像から成る東京根津美術館には、この六観音像と酷似し菩薩像があり、元は8体あったものともいわれる梵天・帝釈天立像四天王立像重要文化財) - いずれも奈良時代塑像で、元は食堂じきどう本尊薬師如来像囲んで安置されいたものである。 玉虫厨子国宝) - 飛鳥時代。元は金堂安置されていた仏堂形の厨子である。建築様式的には法隆寺西院伽藍よりやや古い時代示し飛鳥時代建築工芸遺品として重要である。透かし彫りの飾金具の下に本物玉虫の羽を敷き詰め装飾したことからこの名がある。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初華麗さ想像するのは難しい。厨子の扉や壁面装飾画も著名で、釈迦前世物語である『捨身飼虎図』(しゃしんしこず)、また『施身聞偈図』(せしんもんげず)は特によく知られる5年歳月1億円以上費用をかけて作成され復刻版寄贈されている。 阿弥陀三尊像及び厨子橘夫人厨子国宝) - 飛鳥時代後期白鳳期)。やはり金堂安置されいたもの厨子内の阿弥陀三尊像飛鳥時代後期白鳳期)の金銅仏代表作で、蓮池から生じた3つの蓮華の上三尊像が表されている。 金堂小壁画(重要文化財) - 1949年昭和24年)の金堂火災の際、取り外されていたため難を免れた小壁天人壁画20面である。20面のうち一部展示されている。 また、仏画仏具舞楽面経典なども随時展示替えをしつつ公開されている。保存上の理由から常時公開されていない寺宝として四騎獅子狩文錦(唐時代国宝)、黒漆螺鈿卓平安時代国宝)などがある。

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「大宝蔵院」を含む「法隆寺」の記事については、「法隆寺」の概要を参照ください。

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