地藏菩薩立像
主名称: | 地藏菩薩立像 |
指定番号: | 3288 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1974.06.08(昭和49.06.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 応長元年七月八日の刻銘がある |
員数: | 3躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1293/1295/1313 |
検索年代: | |
解説文: | 箱根越えで最も高い二子山と駒ケ岳の山合、精進ケ池に面する゛賽の河原゛と呼ばれる一帯に点在する石仏群で、これらは鎌倉時代の永仁元年(一二九三)から応頂元年(一三一一)に至る十九年間にわたる僧俗多数の結縁によって製作されたものである。その中心は二子山の裾に露出する大岩壁に彫出された「六道地蔵」と通称される三メートルを超える巨像で、龕の袖壁に刻まれた銘文によって正安元年(一三〇〇)の造立になることがわかる。頭の鉢の張った形や大きくうねる髪際のつくり、引き締まった顔の肉取りなどにこの頃の特色がよく表われており、この時代の東国の磨崖仏を代表する孤高の大作といえる。ほかに「廿五菩薩」と呼ばれる二十数躯の主として地蔵菩薩をその周囲に刻んだ高さ約三メートル半の岩がある。これら多くの地蔵像は永仁元年から数次にわたり下段から上方へと造り出されたらしく、各像の間にはかなり精粗の差が認められる。また火焚き地蔵の名で知られる素朴な地蔵像などもあり、全体として当時のこの地方における地蔵信仰の一面を物語る遺品として貴重である。 |
地蔵菩薩立像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 00:22 UTC 版)
「清谷寺 (福岡県久山町)」の記事における「地蔵菩薩立像」の解説
地蔵菩薩は、釈迦如来が世を去った後、遠い未来に弥勒菩薩が出現するまで、世界を巡って衆生を苦しみから救っているとされています。 剃髪し、右手には錫杖を持ち、左手には願いを叶える宝の玉、宝珠を持つことが多いのですが、清谷寺の地蔵菩薩立像は、右手には何も持たず下げています。 これは、古い地蔵菩薩立像らしいお姿です。 造像は、十世紀、内部が空洞だったり大きな節があることから、由緒ある霊木から刻みだしたと考えられる、ありがたく、大変めずらしい地蔵菩薩立像です。 また子供達を守ってくれるとゆう事から、昔は7月に地蔵祭りが開催されていた。 男の子は、境内に作った、土俵で相撲をとり、女の子は本堂で折り紙などをしていた 像高165.2㎝ 針葉樹材 一木造 平安時代作 令和三年度十月九日~十二月五日まで九州歴史資料館である、「九州山岳霊場遺宝~海を望む北西部の山々から」に出展 久山町の指定文化財に登録
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