大客殿とは? わかりやすく解説

大客殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 18:58 UTC 版)

柴又帝釈天」の記事における「大客殿」の解説

本堂裏に位置する昭和4年1929年)の完成で、入母屋造瓦葺平屋建左右に細長い建築である。東京都選定歴史的建造物になっている座敷4室を左右1列に配し、これらの手前には庭に面しガラス障子立て込んだ廊下がある。座敷のうちもっとも奥に位置する「頂経の間」の「南天床柱」は、日本一ものといわれ、直径30センチ滋賀県伊吹山にあった樹齢約1,500年南天自然木使用したのである

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大客殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 08:02 UTC 版)

客殿 (大石寺)」の記事における「大客殿」の解説

大客殿は1964年春、第66日達の代に僧俗寄進により「法華本門大客殿」として再建された。安置本尊御座替本尊で、大導師席の配置もほぼ同じであった建物当時としての最新土木建築技術により、鉄筋コンクリート5階建てで、1階ピロティー2階下足室、3階5階まで吹き抜け630畳の大広間だった。構造鉄筋コンクリート二重シェル構造11,500tの屋根四隅空洞支えるものだった地震に対して強度震度8でも充分えられるよう設計された。大客殿は、完成した昭和39年1964年)度の日本建築学会賞、さらに翌年建築業協会賞及びBCS賞輝いた設計は後に正本堂設計した横山公男建設準備にあたっては、諸国より建設資材として大理石やカナダ・ヒマラヤコンクリートの砂にはガンジス河の砂を使用したピロティーホール壁面には見るも勇壮な気持ちになる陶壁「鳳凰」(高さ3m、幅12m)が飾られていた。 これは日本画壇の最高峰加山又造下絵描き陶芸家加藤唐九郎制作したという現代日本代表する芸術家合作だった。大客殿広場には噴水設置され参拝者をなごませたと言われるその後平成7年1995年1月阪神・淡路大震災契機建設関係者による耐震診断が行われ、東海地震発生した際に倒壊危険性大きいことを指摘され同年9月本尊大講堂遷座、大客殿を解体し現在の客殿建て替え踏み切った

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