大宝律令以後(701年-)
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「学校に関する日本初の一覧」の記事における「大宝律令以後(701年-)」の解説
大宝律令により日本で最初の成文化された教育制度が確立される。この骨格は唐の国子監制度から持ちこまれた。 本格的な教育機関 - 官立では大学寮(701年頃)、私立では綜藝種智院(829年1月23日)などまた学府という意味では、南都六宗(奈良時代)や比叡山延暦寺(788年)なども教育機関の色合いを持っていた。 女子教育機関 - 典薬寮(896年)、雅楽寮(奈良時代)など 学校 - 足利学校(8-15世紀設立。諸説あり。)名称に学校が入るものでは日本初。 庶民学校 - 綜藝種智院などが庶民に開かれた初期の教育機関であった。 学問所 - 鎌倉時代から学問の場所として用いられるようになった。 神学校、修練院 - セミナリヨ、ノビシャド(1580年)、コレジオ(1581年)
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