大宝律令と蝦夷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)
「日本の古代東北経営」の記事における「大宝律令と蝦夷」の解説
天智天皇2年8月(663年10月)に起こった白村江の戦いでの大敗を契機としてヤマト王権は天皇中心の律令国家建設を急いだ。大宝元年(701年)に大宝律令が制定される。 これ以後は「エミシ」に対する用字として「蝦夷」が一般的に定着している。 律令国家が新たに経営を推進したのが大崎平野と庄内平野であった。しかし越後平野や仙台平野の時と違い、律令国家の蝦夷経営はやがて大きな障碍にぶつかると、現地住民である蝦夷の抵抗に遭う。
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