その他諸国
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また、インドにおいてもモロコシは古くから栽培されている重要な穀物である。インドは雑穀栽培が重要な地位を占める国であるが、そのなかでもモロコシの占める割合は大きい。インドでのモロコシはジョワールと呼ばれ、カリーフ期と呼ばれる雨季にもラビー期と呼ばれる乾季にも栽培される。ラビー期のモロコシの栽培地域は、ボンベイの東に広がるデカン高原地域が主であり、プネーからマハーラーシュトラ州内陸部、カルナータカ州北部、アーンドラ・プラデーシュ州南部にかけて広がっている。 また熱帯地域の多くでも重要な穀物の一つである。アフリカ、中央アメリカ、南アジアなどで盛んに栽培される。現代中国での生産量は全世界での割合的には多くないが、特に東北部において盛んに栽培される。近代日本の中国大陸進出の重点となった中国東北部についてのリポートや作品等にもコーリャンに関する言及がある。
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その他諸国
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ビザンツ帝国の称号形式は、ジョージアやバルカン諸国や、その後のロシア・ツァーリ国などビザンツが影響を持っていた諸国の間でも模倣された。 バグラトゥニ朝(英語版)のグルジアの諸王(英語版)の、ダヴィド4世 の時代に登場した称号は"全東方と西方のアクトクラト",であり、 この称号ゲオルギ八世(グルジア王)(英語版)の時代の統一グルジア王国 の解体まで続き、その後1490年に公式的に解体された。 第二次ブルガリア帝国の統治者たちは"ブルガリア人の皇帝 (ツァーリ)"を用い、早い段階でその称号に "と ヴラフ人"を加えたが、 イヴァン・アセン2世 (在位1218–41年)は1230年のクロコトニツァの戦い(英語版)の後、彼の支配をビザンツ帝国のヨーロッパ側の旧領の大半に広げ、"ブルガリア人とギリシア人のツァーリとアウトクラトル"の称号も追加した。この称号はシメオン1世公(在位893–927年)により最初に称されたものだった。 同じ頃、中世セルビア(英語版)王 シュテファン・ドゥシャンが1345/46年に帝号を称した。 彼は ギリシア語で"セルビアとロマニアバシレイウスとアウトクラトール" 、セルビア語で "セルビア人とギリシア人のツァール"を称した。この称号において"ロマニア(Romania)" (ローマ人の土地(the land of the Romans)、転じてビザンツ帝国を意味する等)を利用したことは、(通常ビザンツの称号では、「ロマニア」はつけないため) 彼がコンスタンティヌス1世の時代からのビザンツ皇帝の直接の後継者であると主張しているにも関わらず、コンスタンティノープルと完全な正統性を授与するコンスタンディヌーポリ総主教の所有が欠落していたことを意味していた。 ロシアのツァーリという使用法はロシア帝国の建設に由来し、1917年のロシア君主の二月革命まで "大ロシア主義(英語版)のインペラトルとアウトクラトル/Emperor and Autocrat"という用語は使われ続けた。 スラヴ諸語では、この称号は (ブルガリア語ブルガリア語: самодържец, samodarzhets, セルビア語: самодржац、セルビア語のsamodržac; ロシア語: самодержец, samoderzhets)の訳語として用いられた。
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