モンゴル帝国が侵攻した国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:50 UTC 版)
「モンゴル帝国」の記事における「モンゴル帝国が侵攻した国」の解説
敗北し支配下・宗主権を認めた国 コンギラト オングト オイラト カルルク 天山ウイグル王国 ルーム・セルジューク朝 トレビゾンド帝国 大アルメニア王国 キリキア・アルメニア王国 グルジア王国 - 領土には含まれなかった ファールスのセルジューク朝系サルグル族(英語版)のアタベク政権サルグル朝(Salgurlular State) →ファールスのアタベク政権インジュー朝 ケルマーンのカラヒタイ朝(西遼の将軍バラク・ハージブが建国) ロレスターンのアタベク政権ホルシーディー朝(英語版) 西ギーラーンのシャーフィイー派ダイラム人のアスパーフバド朝(英語版、ペルシア語版) マーザンダラーンのバーワンド朝(英語版、フランス語版) ホラーサーンのクルト朝 ノヴゴロド公国 モスクワ公国 チベット 高麗 滅ぼされた国 1218年 ナイマン王国 1218年 西遼 1227年 西夏 1231年 ホラズム・シャー朝 1233年 大真国 1234年 金 1240年 ルーシ大公国 1254年 大理国 - 大理国王家はクビライに降伏し、その子フゲチに仕えた。 1258年 アッバース朝 1279年 南宋 侵攻を退けたが臣従を認めた国 陳朝 マジャパヒト王国 パガン朝 敗北したが臣従しなかった国 奴隷王朝 - 国境付近が征服される。 ハルジー朝 - 国境付近が征服される。 ポーランド王国・神聖ローマ帝国とその他諸国、騎士団 - ポーランド王ヘンリク2世が敗死(ワールシュタットの戦い)するなど大敗を喫したが、モンゴル軍は占領せず撤退した。 侵攻を退けた国 日本(鎌倉幕府) - 対馬・壱岐への侵攻を許すも、1回目の文永の役では内陸部の侵攻を阻止し、2回目の弘安の役では九州の武士団の奮戦や台風もあり侵攻を退けた。鎌倉幕府の執権・北条時宗が派遣した6万人の援軍は間に合わなかった。 マムルーク朝 - バイバルスの活躍(1260年のアイン・ジャールートの戦いなど)でアラブにおけるモンゴル帝国の西進を阻止した。
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