来歴補足とその他諸国での活動
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「BoA」の記事における「来歴補足とその他諸国での活動」の解説
2001年、日本デビューに先駆けて「ID; Peace B」の英語バージョンがアメリカ国内で発売された。 2002年11月23日、「SM Entertainment Live in China」(中国杭州市:浙江省杭州体育センター)出演。 2003年2月23日、:アメリカニューヨークで開催された第45回グラミー賞授賞式に出席。 4月、アメリカロサンゼルスで行われた韓国人移民100周年記念「韓人音楽大祝祭」に出演し、また同月には首都ワシントンD.C.で開催された「KOREAN-AMERICAN PEACE FESTIVAL」にも出演した。 5月、アメリカの公営放送PBS「Korea:Hub of Asia」に出演し、英語でインタビューを受けた。 9月29日:アメリカニューヨークで行われた「韓国移民100周年ニューヨーク韓人大祝祭」に出演。 2004年2月14日、シンガポールで開催されたアジア最大級の音楽祭典「MTV Asia Awards」に異例の“日韓代表”として出演し、アジアに最も影響を与えた歌手に贈られる“Most Influencial Asian Artist”(アジアに最も影響を与えたアーティスト)と、韓国で最も人気のある歌手に与えられる“Favorite Artist Korea”を受賞した。また、この日の舞台で「Rock With You」を朝鮮語と日本語で交互に歌い、スピーチでは英語も披露した。 この年、台湾で開催された金曲祭に招待され、「No.1」「VALENTI」を披露した。翌2005年にも招待されたため「My Name」と「Spark」を披露する予定だったが、直前になって不参加となった。 9月、歴史映画『多黙 安重根』の試写会に出席して、安重根記念事業会に5千万ウォンの寄付をし、政府長官より感謝状と名誉会員証を授与された。「映画を観て少しでも愛国心を持ってくれたらと思う(私たちの愛国心が少しでも鼓吹されたらと思う)」と語った。 10月31日:ソウルオリンピックスタジアムで開催される予定だったチャリティーライブ「2004 Live FA-ST」が開演直前になって中止になるという事態が発生した。このライブには韓国の有名歌手が多数出演する予定だったが、この突然の中止を受け会場は修羅場と化したという。 2005年5月26日、写真週刊誌「フライデー」がスタイリストであるMとのキスシーンのデート現場をスクープされるも、所属事務所側とBoA本人は交際を完全否定していた。 この年、インタビューにおいて、北朝鮮の首都・平壌で公演してみたいと答えた。 2005年は日本と韓国を50回以上往復したことを、同年末の『ミュージックステーションスーパーライブ』で語り、時には日帰りすることもあったという。また、翌2006年11月26日に放送された『情熱大陸』では、パスポートを1年間に6冊も更新するほど頻繁に国内外を行き来する多忙ぶりが垣間見えた。 2007年4月2日、朝鮮日報で日本でのアリーナツアーが報じられ、2年ぶりに6集アルバム制作に取り掛かるとされた。しかし、2005年6月発表の5集「Girls On Top」以来、韓国のオリジナルアルバムは発売されず、一貫して日本での活動(2008年後半からはアメリカにおいても)に重点を置いていたが、韓国国内デビュー10周年を迎える2010年にも5年ぶりに韓国国内アルバムを発売するとの報道がなされた。記事によると、BoAがデビューしてからちょうど10年にあたる2010年8月25日に発売される見通しであるとされていた。そして、前述したが2010年8月5日に6集アルバム「Hurricane Venus」を引っ提げ、実に5年ぶりに韓国歌謡界に復帰することが発表された。 5月、ロサンゼルスのハリウッド・ボウルで開催された「5th Annual Korean Music Festival 2007」に参加し、「MOTO」「Girls on top」「No.1」「VALENTI」を披露した。 2007年6月、韓国のBoA本人のミニホームページがハッキングされ、「私的写真ばらす」と脅迫した大学生が逮捕された。 2008年初頭、韓国国内の複数のメディアで、タイやオーストラリアなどで英語アルバムのレコーディングを行っており、同じく韓国人歌手のSE7ENとほぼ同時期に全米デビューする見通しであることが報じられた。また、中央日報では「多数の韓国歌手が米国市場進出を宣言している。最初だけ騒いで結果が伴わないケースが多いが、BoAの場合は確実に進めていこうという考えから、米国進出については公にしてこなかった」と報じている。後に同年8月、所属事務所のアメリカ現地法人「SM USA」が設立され、間もなくBoAがアメリカ進出を公式宣言すると報じられた。そして、9月10日にソウル市内で記者会見が行われ、所属事務所であるSMエンターテインメントのイ・スマン理事も同席して全米デビューすることなどが正式に発表された。3年前からアメリカ進出計画を極秘で進めていたことを明かした。 2009年5月9日、ソウル市内の教会で実兄の結婚式に出席するため、活動先のアメリカから急遽一時帰国した。 2010年5月30日、上海万博における韓国週間の最終日イベント「コリアンミュージックフェスティバル」が上海万博文化センター(現名称:メルセデス・ベンツ文化センター)で開催され、同じ事務所に所属するカンタやスーパージュニアらと共に出演。この日のステージにおいてBoAは「Eat You Up」「Energetic」「Look who's talking」を披露した。 2010年、韓国ドラマ「ATHENAーアテナー」第7、8話に本人役で出演している。 その他、韓国を中心とした東アジア諸国でテレビ出演や音楽祭への参加などを幾度も行っている。
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