来歴・逸話
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1997年に栃木県宇都宮市にて結成。 宇都宮のライブハウスを中心に勢力的にライブを行う。 1998年にシングル「LAST SUMMER DAY」をリリースし、同作品でのレコ発ツアー(全ての会場でSOLD OUT)「東京・名古屋・大阪」を行う。その後はHUSKING BEE・10-FEET・SPREAD・NOT REBOUNDとも共演をしている。2ndシングル「EACH IN THIS OWN WAY」でのCDジャケットとCDの帯のコメント書きはFANTASTIC TODAYの征則が行っている。 2006年にリリースされたシングル「未知なる道」では、SKRとのコラボレーションなども行っている。同シングルのレコ発ツアー「群馬・栃木・茨城・千葉・埼玉・東京・神奈川・静岡・京都・大阪・福井」を敢行した後、活動休止期間に入る。 不定期ではあるが楽曲毎にサポートメンバーを迎えた楽曲の製作なども行っている。 2022年にTHFミュージック所属アーティストとして活躍を再開。
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来歴・逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 06:08 UTC 版)
芸人を目指していた能勢が、お笑いに全く興味の無かった加藤と吉本を誘い、1996年にトリオ「せんたくばさみ」を結成。名前の由来は、「芸能界の激しい逆風に吹き飛ばされないように」という意味が込められているが、これは後付けである。 能勢が島から大阪へ旅立つ時、能勢の乗る船が出航する寸前に、見送りに来ていた吉本がその身一つで飛び乗り、そのまま共に大阪へ行った。また、能勢は共に上京しようと加藤を誘ったが、「その日はバイトがあるから」と断られた。 「せんたくばさみ」時代、3人それぞれ、髪の毛の色を変えていたことがある(能勢=赤、吉本=青、加藤=黄色)。 2005年12月6日、吉本が脱退。残った2人はコンビ名を「うなぎ」に改称(命名はよゐこの有野晋哉。テレビで共演した際、能勢に好物を聞いたところ「うなぎ」と言ったので、そのまま命名)。 2008年8月に元「トランスポーター」の中屋が加入し、現在の「ビーグル38」に改名。同時に拠点を東京に移した。同月に出場したキングオブコントが、3人での初舞台だった。 2009年11月、加藤が肺結核に罹患した事が発表された。その後入院して治療を受けていたが、2010年2月に退院し、活動を再開している。 ビーグル38の名前の由来は、能勢が犬好きということもあって名前を考えるために犬の図鑑を買い、キャバリア、ビーグル、ビション・フリーゼの3つを候補に挙げ、加藤がスヌーピーにそっくりということと、短く覚えてもらいやすいということでビーグルになった。しかし、ビーグルで検索すると犬ばかりが出てくるので何か付けようということで、3人とも8月生まれで、38歳までには売れたいということでビーグル38になった。 能勢の性格は大変素直らしく、「ドッキリ」にかかりやすい。ますだおかだ角パァ!では「おばさん女社長」に騙され、キスをしてしまった。 能勢がゲットした芸能人の連絡先は芸人のいとうあさこと歌手の岡本真夜の二人。(岡本真夜とは同級生であり、東京にきて交流が復活した元クラスメイト。) 能勢には一回り年下の彼女がいるが、「頼りない」「別れたい」と言われているらしい。(天才てれびくんMAX内にて) 能勢と加藤の2人ばかりテレビやライブに出演することが増え、中屋が行っても何もせずに帰らされることも多くなったことでトリオ関係が悪化し、とあるネタ合わせの最中に三人で話し合っていた時、加藤の口から「もう惰性で芸人をやっている」と言う発言を聞き、トリオ内で不憫に扱われながらもネタ作成を担当していた中屋がその発言により募り募った今までの不満が込み上げ「じゃあもう辞めましょうか」となり、解散へと向かうことになった。 2013年10月4日に解散することが、事務所から発表された。能勢、中屋はそれぞれ松竹芸能所属のピン芸人として活動し、その後中屋はフリーとして活動したのちに引退、加藤はそのまま芸人を引退することとなった。
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