来歴補足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 01:32 UTC 版)
中出那智子は、師事した宮本三郎との出会いについて、以下のように語っている。 「私が23歳になった時、再び宮本三郎先生は奥様とご来島され、『あれ、貴女があのときの赤ちゃん?』と思わぬ再会に家中喜びに湧きたちました。その時は、牛のスケッチが目的だったので、私が牛のたむろする砂浜にご案内いたしました。大島旅行が終わっていよいよお帰りになる日の乗船前のひととき、私は思い切って少女時代に描いた例の赤い表紙の絵日記と画帖を先生に見ていただくことにしました。」 「先生は北側の窓辺にお座りになり「ほほーっ」とおっしゃって絵日記を食い入るようにご覧になり、「大人が苦しんでやっていることを子供の貴女がなんの衒いもなくやってのけている」とおっしゃってくださり、入浴している絵のタオルの描写など、一つ一つ褒めてくださったのでした。その嬉しかったこと。あとにも先にもあんなに目の前が明るく光りに満ちて人生が輝いて見えたことはありません。手にしていらした煙草の火がだんだん下に下りて行き、灰が四センチにも五センチにもなります。何か言おうとする私の口も、先生の熱心に見入って下さるその気魄に押されて声も出ません。」 「あの一瞬のかけがえのない緊張感こそが、今日までの私の画業を支えているのだと思います。奥様も側で何度も何度も先生のおっしゃることに相槌を打って、ともにご覧下さり、一生を通じてこの時ほど幸せなことはありませんでした。それ以来、先生は私に二紀会への出品をすすめて下さり、同人推挙、受賞と幸運が続き、外国に住んでいる時も、二紀会同人として特別の待遇をして下さっており光栄に思っておりました。」
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