名刀虎徹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 04:21 UTC 版)
作者:小笠原信夫。(長曽祢乕徹新考の作者でもある) 年代:2013年 旗本:上記の長曽禰虎徹の研究を参照している なぜ松の枝を切ろうとしたのか:上記の長曽禰虎徹の研究を参照している その後の伝来:その旗本には売らなかった その他:いくつか疑問が呈されている。まずは石灯籠が下にあるのも見極めずに松の枝を斬った事に不審を抱く。次にこの刀は元々二尺四寸あったものを二回磨上げており、切付銘は磨上げた後にされておりなぜ二回磨上げた後に切付銘を入れたのか疑問が残る。「刀の来歴逸話を忘れないように後世に伝える目的で添銘したものと素直に解釈すればよいのだろうが研究を要する」との記載がある。また、鞘書には「元久貝家重代」とあるとの記述ある。 尚、歴史小説ではあるが、司馬遼太郎の著作『新選組血録』でも紹介されている。注文主は、五千五百石の久貝因幡守(久貝正方)で、長曽祢興里ができあがったものをもってゆくと久貝因幡守が意外に喜ばなかったことが原因であるとしている。石灯籠の笠を切っても刃こぼれ一つしなかったため、久貝因幡守はそれを見て大いに怖れ無礼を謝し刀を納めたとある。
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