文化財など
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本堂 昭和54年(1979年)に山口県の重要文化財(有形文化財)の指定を受ける。衆寮を元に造られた本堂は珍しく、仏教寺院の本堂としては山口県下では最大級である。 境内・墓碑群 昭和42年(1967年)に大内義隆公主従墓所が山口県指定史跡に、昭和48年(1973年)に毛利氏萩藩重臣墓碑群が長門市史跡となり、1979年2月6日には境内も山口県の史跡に指定されている。鷲頭弘忠墓 上杉憲実墓 三条公頼墓 大内義隆公主従の墓所 萩藩重臣墓碑群 盤石橋自然石の組積みによって作られた石橋。寛文8年(1668年)に最初に架橋され、宝暦14年(1764年)に架け替えられており、早くから日本に突桁式工法による架橋(ゲルバー橋)が行われていたとされる。防長三奇橋のひとつ。 梵鐘 昭和58年(1983年)6月1日に長門市指定有形文化財(工芸品)の指定を受ける。高さは97.3センチで、銘文によると応永3年(1396年)に筑前国葦屋津(現在の福岡県芦屋町)で鋳造されている。 位牌 毛利元就が、大内義隆の七回忌供養時に祀った大内義隆他の位牌 詩碑 詩人・児玉花外が青海島をうたった詩碑がある(1960年建立)。
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文化財など
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阿弥陀如来、薬師如来、十一面観音、兜跋(とばつ)毘沙門天、吉祥天など、80余躯の仏像が宝物殿に納められている。指定文化財としては、国の重要文化財が12躯、兵庫県指定文化財が34躯あり、「丹波の正倉院」と呼ばれる所以となっている。兜跋毘沙門天(地天女の両掌に支えられて立つ形の毘沙門天像)が16躯もあるなど、同種の仏像が多数あること、未完成の仏像があること、腹部がふくらんだ独特の様式の像(達身寺様式と呼ばれる)があることなどが注目される。 達身寺の仏像は木彫仏であって、大半が一木造である。寄木造の像も作られたはずだが、長い間放置されたため、破片化してしまったようである。
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文化財など
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池泉回遊式庭園小堀遠州が手がけた庭園で、国の名勝に指定されている。千手院谷普門院、蓮華谷宝善院の庭園とともに高野三庭園とされる。 絹本著色理趣経十八会曼荼羅図奈良県指定の文化財
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文化財など
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神宮祭主職舎本館が国の重要文化財、勝手所と表門が三重県有形文化財に指定されている。
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文化財など
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ビャクシンの樹林は巨木が生い茂り、昭和7年(1932年)に「大瀬崎のビャクシン樹林」として国から天然記念物に指定されている。引手力命神社(大瀬神社)は延喜式神名帳に記載があるとも言われ海の安全の神として名高く、多くの文化財や風習が今に伝わっている。神池は、半島または岬の先端にもかかわらず淡水池であり、伊豆七不思議の一つとされる。 神池を取り囲む樹林ビャクシンは林の中に点在しているが、生育には強い日照を必要とするため、新しい若木が育ちにくい。1981年・1982年に沼津市は国と県よりの補助を受け約60本の植林を行っている。 引手力命神社の御神木推定樹齢1,500年で、幹の周囲は約7m。
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