文化財と遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 19:02 UTC 版)
鹿ヶ瀬峠上部に遺された熊野古道の遺構は和歌山県指定史跡(2011年〈平成23年〉3月15日指定)である。 峠の頂上部は大峠(標高約350メートル)と呼ばれる東西40m・南北30mほどの平坦地で、そこから約400m下った所に小峠と呼ばれている山塊の鞍部が日高・有田両郡の郡境となっており、近世の地誌『紀伊続風土記』に「河ノ瀬村から登り約二一町、原谷奧から十四町ばかり、字小峠をもって有田、日高の境をなす」と記されている。小峠の少し上手には像高30センチメートルほどの馬頭観音や板碑のほか、道路脇に高さ約50センチメートルの地蔵菩薩を陽刻した道標があり、「右かみくさの滝へ十五丁、たから村金屋某」の銘がある。 板碑は、沓掛王子旧址の傍らにあった法華堂境内にあったものが、法華堂が本寺の養源寺(広川町)に退転した際に、取り残されたものだと伝えられる。現存する8基のうち、完全なものは4基ある。いずれも形式は同一で、中央に南無妙法蓮華経の法華経題目が刻銘され、2基には年号と日付の刻銘がある。残り4基は破損しており、板碑であること以外は不詳である。 日高町と広川町の境界を日高町側に下ると、幅員1.5メートル、全長503メートルにおよぶ石畳道が遺されている。石畳の石材は、道の周囲の岩盤から採取された砂岩で、長さ約30㎝前後のやや小型の石材を敷き、石の継ぎ目が直線状になった箇所が数10m単位で見られ、構築単位を示している。 日高町側には金魚茶屋として知られる茶屋を営んでいた旧金崎家邸跡があり、『紀伊国名所図会』にもその姿が描かれている。金魚茶屋の名は、門前に金魚を飼って往来の旅人の休息に興を添えたことによるという。
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