文化財としての保護
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城跡は1936年(昭和11年)に「霧山城跡」の名称で日本国の史跡に指定、山麓の北畠神社にある庭園は「北畠氏館跡庭園」の名称で日本国の名勝および史跡に指定された。市町村合併前の美杉村教育委員会は、1996年(平成8年)度から2005年(平成17年)度まで北畠氏館跡(多気御所)の発掘調査を実施した。2006年(平成18年)7月28日付で、文部科学大臣により史跡の統合・追加指定および名称変更が行われた。これにより、「霧山城跡」と「北畠氏館跡庭園」の2件の史跡を統合し、指定地域を追加したうえで、指定名称が「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」と変更された。統合・追加指定後の史跡指定地の総面積は268,906.91m2(うち城跡の面積は15,000m2)となった。 津市教育委員会は津市埋蔵文化センター多気北畠氏遺跡調査分室を設置し、2006年(平成18年)度にも城館跡の発掘調査を行っている。
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文化財としての保護
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1977年には、国の重要無形民俗文化財に指定されている。保存会は薩摩川内市の下甑町手打(港、麓、本町)、下甑町片野浦(片野浦)、下甑町瀬々野浦(瀬々野浦)、下甑町青瀬(青瀬)にある。2009年、国連教育科学文化機関(UNESCO)の無形文化遺産の新制度第1号のひとつとして「甑島のトシドン」が登録された。日本は原則として重要無形文化財、重要無形民俗文化財、選定保存技術の中から指定時期の早い順に推薦し、トシドンの他に「京都祇園祭の山鉾行事」など14件がまとめて選出された。 後に「男鹿のナマハゲ」の無形文化遺産への登録を提案した際、「甑島のトシドンに形式的にも象徴的にも類似している」と指摘されて登録されなかった。このため、トシドンの登録名を「正月の来訪神行事」と変更してナマハゲを追加するなどといった案が検討され、2016年には「来訪神:仮面・仮装の神々」として8件の行事に拡張して提案が行われた。しかし、審査が先送りされ、2017年3月に10件に拡張して再提案されたのち、2018年11月にようやく拡張登録を果たした。同様の事例は「京都祇園祭の山鉾行事」(2009年選出)と「高山祭の屋台行事」、「石州半紙」(2009年選出)と「本美濃和紙」などでも起きており、それぞれ対象を加えて「山・鉾・屋台行事」、「和紙:日本の手漉和紙技術」として登録されている。
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文化財としての保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 03:45 UTC 版)
1980年7月7日、白鶴梁は、四川省が発表した省級文物保護単位(中国語版)の第一次再指定に含まれた。後に、重慶市の管轄となっている。1988年1月13日には、第三次(中国語版)全国重点文物保護単位の一つとして公認された。2000年9月7日には、第一次重慶市文物保護単位(中国語版)の一つとなった。 2006年以降は世界文化遺産への登録をめざす取り組みが進められている。
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