文化論的転回と「新しい文化地理学」の誕生
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「文化地理学」の記事における「文化論的転回と「新しい文化地理学」の誕生」の解説
文化超有機体説に対する批判がつのるなか、1980年代後半にはイギリスを中心に文化論的転回(英語版)と呼ばれる運動が展開される。1987年、デニス・コスグローヴ(英語版)とピーター・ジャクソン(英語版)はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで開かれる英国地理学会の社会地理学研究グループ会議のため「文化地理学における新しい方向(英: New directions in cultural geography)」と銘するレビューを発表した。彼らは文化本質主義的で、主に農村の静態的な空間現象を対象にしたバークレー学派を批判し、「歴史的なものと同時に現代的、空間的なものと同時に社会的なもの、農村的なものと同時に都市的なもの」を対象に捉える「新しい方向」の文化地理学を提唱した。 人文地理学におけるこの運動は、アメリカにおける文化地理学の景観研究、レイモンド・ウィリアムズやスチュアート・ホールといったカルチュラル・スタディーズ研究者の理論、ラディカル地理学の勃興以降の政治経済地理学の発展などに強い影響を受けたもので、文化を社会のなかで意味が組み立てられる構築物、人々の利害関係のせめぎあいのプロセスとして再定義するものであった。景観は集合表象・思想・生産様式・社会秩序などの象徴的表現であり、イデオロギー性をはらむ記号が伝達・発信される社会闘争の場であるとみなされた。また、風景画をはじめとする景観の表象についても政治性が意識されるようになり、図像構成から作者の階級的背景を読み取ることができるとする観点が生まれた。 新しい文化地理学においては「位置性(英: Positionality)」の問題が俎上に乗せられた。これは、文化が誰により、何を代表して描写されるものであるかという問題である。ここでは、調査者が研究地において自分の望む「文化」を選択してきたこと、とくに第三世界を対象とした研究において、研究者が所属する先進国の文化と研究対象地のそれの差異が強調されたこと、そうした関係が植民地主義的であることなどが自省的に批判された。また、従来の文化地理学が農村の歴史的で「変化しない」景観のみを主題に選んだことについても位置性の観点から問題視された。
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