文化論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 01:27 UTC 版)
ハリー・トリアンディスは、「親密に結びついた人々が織りなす社会的なパターン」を集団主義、「緩やかに結びついた人々が織りなす社会的なパターン」を個人主義と定義し、集団主義的な文化の国としてブラジル・インド・ロシア・日本を挙げ、個人主義的な文化の国としてフランス・アメリカ合衆国・イギリス・ドイツを挙げる。“主観的文化”の要素を「言葉、共有される信念、態度、規範、ルール、行動」であるとし、主観的文化に影響を及ぼすものとして、土地の気候および生態の変化・歴史的な出来事(戦争、異文化集団による征服)・文化の普及(移住、異文化製品の流入)を挙げる。 トリアンディスは、どの文化にも個人主義的な個人と集団主義的な個人がおり、どの個人も個人主義的な要素と集団主義的な要素を持ち合わせており、ある個人が個人主義的であるか集団主義的であるか、ある文化が個人主義的な文化であるか集団主義的な文化であるかは、そのバランス、割合によって決まる、生活の個々の場面・局面において、どちらの要素を選択するのかが社会的行動の決定要因となる と述べる。極端な傾きは個人主義と集団主義のどちらも不合理を招く と述べる。 トリアンディスによれば、集団主義的な認知要素は“私が属する集団は私がこうすることを望んでいるという考え”で、個人主義的な認知要素は、たとえば、"私は親切であるという考え"である。集団主義者は、"みんなの考え方、感じ方、行動が同じであること"を望み、個人主義者は"議論を通して立場を明確にすること"を好む。個人主義者は確信のために独自の論拠を探そうとし、集団主義者は、「同意が得られる領域を探そうとして」、「意向をためらいがちに打診する」。個人主義は寛容さと文化的複雑性の結果であり、集団主義は厳格さと文化的単純さの結果である。個人主義者は人の行動の肯定的結果に着目し、集団主義者は否定的結果に着目する。 トリアンディスによれば、人口比で世界の多数派は集団主義者であり、個人主義、西洋的な物の見方は少数派である。
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