これらの批判について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 06:41 UTC 版)
「照葉樹林文化論」の記事における「これらの批判について」の解説
照葉樹林文化論を縄文文化論や稲作起源論と同一視して批判する議論は、照葉樹林文化論に対する初歩的な誤解にもとづくものである。照葉樹林文化論は、日本列島の狩猟採集文化(縄文時代)および稲作そのものの文化(弥生時代)とは別の文化要素群(焼畑・茶・納豆・絹・モチ・漆・歌垣・婚姻形態など)によって認知される文化複合ととらえている仮説である。またその発展段階が、(1)プレ農耕段階・(2)雑穀を主とした焼畑段階・(3)稲作ドミナントな段階の3段階に整理され、このうち焼畑段階が典型的あるいは焦点であるとされている。このことは、1976年の『続・照葉樹林文化』ですでに示されており、佐々木高明の最近の著作でも説明されている。 照葉樹林文化論を特徴づけるのは、照葉樹林帯という共通の生態環境をもつ地域一帯に、この環境で生まれた文化要素群が起源地から伝播して他地域へ広がったのではないかとする生物地理学的な観点である。したがって、仮説の枠組みとしての照葉樹林文化論を科学的に否定するためには、(1)これらの文化要素の分布が実際には照葉樹林の分布と対応しないことを示すか、または(2)これらの文化要素群が照葉樹林帯とその周辺一帯に分布するのは起源地から伝播した結果ではなく、それぞれの地域で独立に生じた結果であることを主張し、そのことを証明する必要がある。
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