文化解読
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:26 UTC 版)
フョードル・シチェルバツコイ 文化解読を提示した文献としてエミール・シュラーギントヴァイト(英語版)の『チベットの仏教』(1863年)、ローレンス・ウォッデル(英語版)の『チベットの仏教』(1895年)、アルベルト・グリュンヴェーデルの『チベットとモンゴルの仏教神話』(1900年)、チャールズ・アルフレッド・ベル(英語版)の『チベット 過去と現在』(1924年)、『チベットの人々』(1928年)、『チベットの宗教』(1931年)、多田等観の『チベット』(1942年)、ヘルムート・ホフマンの『チベットの宗教』(1956年)などが書かれた。この時期の研究は黄帽派とも呼ばれるゲルク派説に特徴づけられている。それは宗祖ツォンカパの尊崇と、それに合わせた他者の解釈であり、以下の文章はその特徴を端的に示している。 カーダム派(英語版)のアティーシャ及び黄帽派の開祖ツォンカパは、ともに戒律による高い道徳的立場と大乗顕教の深い哲学とをもって、在来の堕落したチベットの仏教、とくに密教を改革した功労者、改革者として、チベット仏教史上に高く評価され、後者ツォンカパは、前者アティーシャをそのままうけつぎ、これを復興拡大したに外ならず(中略)このような見解は、その典拠をチベットに発している。 — 羽田野伯猷 (1954) 『チベット・インド学集成』第一巻, 1986, 29頁再録(補記された原語及び生没年は省略) 「その典拠」とはゲルク文献や情報提供者の説で、上記『仏教文庫』に含まれるヴォストリコフ『チベット歴史文献』はゲルク説からの文献解題書に他ならず、取り扱いに注意を要する。オルデンブルクの弟子で『仏教文庫』にも多くの著作を書いているフョードル・シチェルバツコイはモンゴルなどでゲルク僧より学び、ルイ・ド・ラ・ヴァレ・プサンなどと論争を展開し、仏教学に大きな影響を与えた。 羽田野伯猷はオリエンタリズム期にあって、その偏向を指摘するという優れた分析を発表した。そのアティシャ研究は特に優れている。
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