趙雲
趙雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 08:38 UTC 版)
趙 雲(ちょう うん、拼音: 、延熹4年(161年)/建寧元年(168年) - 建興7年(229年)11月)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての将軍。字は子龍(しりゅう・しりょう)[1]。冀州常山国真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広。
注釈
- ^ a b 『華陽国志』によると翊軍将軍への昇進は劉備の漢中王即位後であり『關羽為前將軍,張飛為右將軍,馬超為左將軍,皆假節鉞。又以黄忠為後將軍,趙雲翊軍將軍。』と四将と並んで昇進したと記録されている。
- ^ 諸葛亮伝および『華陽国志』によれば趙雲らの軍は擬軍(少数の兵を多数に見せかけること)であったという
- ^ a b 盧弼『三国志集解』が注に引く南宋の胡三省曰く。『晋書』職官志によれば、鎮軍将軍は四征将軍・四鎮将軍の上位である。趙雲は鎮東将軍から鎮軍将軍に降格したようだが、晋の制度では昇格になってしまう。蜀漢の制度で鎮軍将軍というのは雑号将軍だったのだろうか。それなら降格になるのでつじつまは合う。しかし蜀の鎮軍将軍は四征将軍や四鎮将軍同様に上位職の鎮軍大将軍の位が置いてあり、雑号将軍であるとは考えづらい。
- ^ 李光地によれば、趙雲が幼い後主を拾ったことが、夏侯嬰が幼い恵帝を拾ったことに対応している。
- ^ 192年に常山郡は袁紹の統治領となった。
出典
趙雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 01:49 UTC 版)
「ジャイアントロボ バベルの籠城」の記事における「趙雲」の解説
口からあらゆる物を吸い込む能力を持つ。幽鬼と対決する。ヒィッツカラルドのエネルギーを吸い取り重症を負わせるが、幽鬼の命をかけた最後の技で死亡。
※この「趙雲」の解説は、「ジャイアントロボ バベルの籠城」の解説の一部です。
「趙雲」を含む「ジャイアントロボ バベルの籠城」の記事については、「ジャイアントロボ バベルの籠城」の概要を参照ください。
趙雲(趙子龍)(ちょう うん / しりゅう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 14:59 UTC 版)
「孔明のヨメ。」の記事における「趙雲(趙子龍)(ちょう うん / しりゅう)」の解説
孔明の財布を掏摸取った難民の少年を取り押さえた男。劉備の家臣。劉備とその家族を守る護衛役(阿斗の子守もする)。
※この「趙雲(趙子龍)(ちょう うん / しりゅう)」の解説は、「孔明のヨメ。」の解説の一部です。
「趙雲(趙子龍)(ちょう うん / しりゅう)」を含む「孔明のヨメ。」の記事については、「孔明のヨメ。」の概要を参照ください。
趙雲(ちょううん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:00 UTC 版)
「三国志 (北方謙三)」の記事における「趙雲(ちょううん)」の解説
常山真定出身の偉丈夫。公孫瓚の部将だった時に、単身で敵からの攻撃を防ぐなど一目おかれる活躍をしその後劉備に惚れ込み仕官を直訴。このときは劉備は自身も内心では登用したいとは思ったものの自分の信念から一年間世間を知り様々な人を見てそれでも自分を気に入ったのなら、また士官しに来いとを諭され、天下行脚の旅に出る。(劉備は内面では他のところに行ってしまうのではないかと心配していたのを漏らした)それでもやはり、帰還後は劉備に仕えさらに劉備軍の重鎮となり、この旅で得た人脈が後々劉備に利することになった。その武勇は張飛 関羽にもまさるとも劣らずと評され、その武勇で様々な将軍を怯えさせた。さらにその人の良さからも周りに好かれた。史実では諸葛亮と親交が深いが、今作ではそのような面はあまり見受けられない。趙雲率いる騎馬隊の素早さから老齢になっても、第一線で活躍をする。作品後半の夷陵の戦いでは、劉備に反対するものの、ギリギリのところ助けに入るなど、作品を通じて義の武将である。
※この「趙雲(ちょううん)」の解説は、「三国志 (北方謙三)」の解説の一部です。
「趙雲(ちょううん)」を含む「三国志 (北方謙三)」の記事については、「三国志 (北方謙三)」の概要を参照ください。
趙雲(ちょううん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 11:04 UTC 版)
「バイトのコーメイくん」の記事における「趙雲(ちょううん)」の解説
コーメイより後に採用されたバイト店員。高校生で、重度の中二病で、500万円の名槍「竜胆」を買うためにバイトしている。また、中学時代のルールを高校まで持ち込むタイプである。時折コーメイを「お兄ちゃん」と呼ぶ。
※この「趙雲(ちょううん)」の解説は、「バイトのコーメイくん」の解説の一部です。
「趙雲(ちょううん)」を含む「バイトのコーメイくん」の記事については、「バイトのコーメイくん」の概要を参照ください。
趙雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:17 UTC 版)
「私説三国志 天の華・地の風」の記事における「趙雲」の解説
字は子龍で、孔明の理解者の一人。細作二十余名を引き連れた上で、南屏山付近の入り江にて孔明救出任務を請け負う。呉の追手に矢を打ち、船を傾かせた隙に帆をあげ、距離を取った。死亡年は不明だが、心不全で亡くなったことになっている。
※この「趙雲」の解説は、「私説三国志 天の華・地の風」の解説の一部です。
「趙雲」を含む「私説三国志 天の華・地の風」の記事については、「私説三国志 天の華・地の風」の概要を参照ください。
趙雲(ちょううん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 20:11 UTC 版)
「ランペイジ (漫画)」の記事における「趙雲(ちょううん)」の解説
初登場の時点では黄巾側について劉備軍と対立。しかし、劉備の絶対魅了によって戦闘不能になる。もともと、過去に女性に関するトラウマがあるらしく、劉備の一件以降、よりいっそう女性嫌いに拍車がかかったようである。黄巾の乱平定後は劉備軍に誘われる。しかし、張宝に操られていた村人を殺した張飛・劉備に不信を抱き、これを拒絶した。
※この「趙雲(ちょううん)」の解説は、「ランペイジ (漫画)」の解説の一部です。
「趙雲(ちょううん)」を含む「ランペイジ (漫画)」の記事については、「ランペイジ (漫画)」の概要を参照ください。
趙雲(演:鶴田亮介 / 片山徳人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:48 UTC 版)
「龍狼伝」の記事における「趙雲(演:鶴田亮介 / 片山徳人)」の解説
基本的には『演義』に準ずる。本作序盤で志狼に槍術を教えている。彼も関羽や張飛に勝るとも劣らぬ強さを持ち、虎豹騎にも余力を残して勝てる。『匈奴編』では劉備から密命を受ける形で終盤に再登場を果たし、志狼を助けている。
※この「趙雲(演:鶴田亮介 / 片山徳人)」の解説は、「龍狼伝」の解説の一部です。
「趙雲(演:鶴田亮介 / 片山徳人)」を含む「龍狼伝」の記事については、「龍狼伝」の概要を参照ください。
趙雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:45 UTC 版)
※この「趙雲」の解説は、「三國志曹操伝」の解説の一部です。
「趙雲」を含む「三國志曹操伝」の記事については、「三國志曹操伝」の概要を参照ください。
趙雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 14:54 UTC 版)
五虎将軍の一角。長坂の戦いで劉禅を救ったというエピソードから、普段から彼を背負った状態で登場することが多い。劉備たちと一緒に遊ぶこともあるが、基本的には真面目なキャラクターのようで劉備たちを諭す場面もある。劉備の妻である淑玲(スーリン)が足手まといになるまいと井戸に身投げするネタでよく登場する。実家は農家。
※この「趙雲」の解説は、「STOP劉備くん!」の解説の一部です。
「趙雲」を含む「STOP劉備くん!」の記事については、「STOP劉備くん!」の概要を参照ください。
趙雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)
『演義』完成段階における重要度の変化という意味で、張飛と好対照をなすのが趙雲(字:子龍)である。 趙雲は『演義』において蜀漢の五虎将軍に数えられる名将であり、その活躍や忠誠も関羽・張飛に匹敵する英雄として描かれる。しかし正史には五虎将軍という官職は実在しないうえ(蜀書巻6に「関張馬黄趙伝」と5人の武臣がまとめられていることから、後世に総称されただけのもの)、趙雲伝の記述はわずか246字に過ぎず、『演義』に見られる活躍はほとんど記載されていない。わずかに長坂の戦いにおいて幼い劉禅を保護したことが載るのみである。裴注に引く『趙雲別伝』に、わずかに桂陽太守趙範から未亡人の兄嫁との縁談を勧められるも怒って断った話や、定軍山の戦いの後帰陣しない黄忠の身を案じて出陣した趙雲が、包囲する敵兵を突破して救援し、劉備から「子龍は一身これすべて胆なり」と賞賛された説話が載る。しかし『平話』の段階に至っても、戦場での活躍などは他の武将からそれほど突出した印象はない。 趙雲は『演義』が完成する段階で、一躍英雄としての描写を増加させた人物だった。上記の黄忠を救う場面を採用するにあたり、『演義』は戦闘の描写に文学的技巧の精緻を尽くし、戦場における趙雲の華麗で鮮やかな動きを梨花にたとえる見事な場面に作り上げている。ほかにも『演義』の段階で加えられた趙雲の活躍場面には高度な技巧的表現が用いられたり、忠義・実直・無欲な面が強調され「士大夫の理想的な」武将としての趙雲が描かれていることが多い。これらは張飛や孔明が語り物や演劇などの世界で培われた英雄なのに対し、趙雲は『平話』より後の、文学作品として完成する詰めの段階で造形され、知識人たちの倫理観による洗礼や、文学的なリライトといった技巧を施されて形成された英雄ということを物語るものである。小松建男は『演義』の地の文で、場面によって「趙雲」「子龍」という異なる呼称が偏る傾向があることに注目し、「子龍」が使われる場面(劉備が孫権の妹を娶るために呉へ赴いた際に趙雲が従った話、桂陽太守の兄嫁を巡る話など)は、総じて倫理的・理知的で思慮深い側面を描くために挿入された、比較的新しい故事の可能性があることを指摘している。 『演義』と同じく口承文芸や演劇から小説に発展した『水滸伝』においても、趙雲と同様の士大夫的倫理観を持つ英雄林冲の説話が最終段階で挿入された形跡があり(詳細は水滸伝の成立史#林冲像の形成)、白話文芸から文学作品として大成させる最終段階で、知識人が果たした役割を示している。
※この「趙雲」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「趙雲」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。
趙雲(ちょううん)(別名:蘭(らん))
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 06:28 UTC 版)
「王者の遊戯」の記事における「趙雲(ちょううん)(別名:蘭(らん))」の解説
※この「趙雲(ちょううん)(別名:蘭(らん))」の解説は、「王者の遊戯」の解説の一部です。
「趙雲(ちょううん)(別名:蘭(らん))」を含む「王者の遊戯」の記事については、「王者の遊戯」の概要を参照ください。
- >> 「趙雲」を含む用語の索引
- 趙雲のページへのリンク